2025年11月18日(火)

未来を拓く貧困対策

2025年10月30日

  一枚の写真は、地域に開かれた複合型福祉施設としての「実籾パークサイド」の姿を象徴したものである。

©FUKUSHI-GAKUDAN

 晴天のもと、施設の一角に多様な人々が集まり、ピースサインを交えながら笑顔で並んでいる。子どもから高齢者まで、年齢も背景も異なる人々が自然に混ざり合い、車いすを利用する方もその輪の中にいる。誰かを支えるのではなく、共に過ごすことが当たり前となった日常の一場面である。

 家族の単位が小さくなり、頼れる人が周囲にいない人たちが増えている。孤立社会ともいわれる日本で、自分の居場所を見つけることはそう簡単なことではない。ある施設の挑戦を通じて、「共に生きる社会」という難題を考えてみたい。

奪われた「共生」の言葉

 市川沙央さんが朝日新聞に寄稿した文章が話題を呼んでいる。2024年秋に開催された朝日新聞主催の「朝日地球会議」において、「共生」をテーマに掲げながらも、障害当事者や支援者が登壇していなかったことを厳しく批判したものである。

 登壇者約80人のうち、障害者やその関係者はゼロ。 手話通訳や同時字幕などのアクセシビリティ対応もなかった。

 「共生」という言葉が、障害者の包摂という本来の意味から逸脱し、意識高い系のキラキラワードに貶められている。一連の運営体制を、「マイノリティの運動の簒奪(さんだつ)」とした(「奪われた「共生」の言葉 障害者なき対話に市川沙央さんは思う」朝日新聞、2025年9月12日)。

 寄稿文に多くの方からコメントが寄せられたのは、美しい言葉の裏で進む「排除」を象徴するものとして、心をざわつかせるものがあったのだろう。

 その中の一人、東京大学大学院教育学研究科教授の本田由紀氏は、「理念に伴う難しさを直視した上でなお真摯に取り組むという腹の括り方をどれほどできているか」とコメントを寄せている。

 実際、「共生」という口当たりのよい言葉は、実現に踏み出した途端に、厳しい現実に突き当たる。しかし、その現実に挑む者がいるからこそ、社会が変わることもある。今回は、そうした挑戦を続ける施設を紹介したい。


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