2025年12月14日(日)

古希バックパッカー海外放浪記

2025年12月14日

第二次大戦後のトルコ人のドイツなど欧州への出稼ぎブーム

ダッチャからマルマリスへ向かう途中の入り江のヨットハーバー。トル コの海岸には数多のヨットハーバーがある。1人当たりGDPは日本の半分以下でもト ルコの総ヨット数は日本よりも多いのはなぜか

 そもそもどのような経緯で多くのトルコ人がドイツへ出稼ぎに行ったのだろうか。調べると1961年に当時の西ドイツはトルコと外国人労働者募集協定を締結。労働力不足に悩む西ドイツにトルコは暫定的労働力(ガスト・アルバイター=ゲスト労働者)として非熟練同労者を提供するという内容。トルコ政府は失業対策の一環として位置づけた。技能を習得した後、トルコ人は帰国し、自国経済に貢献するというのが協定の本来の趣旨であった。 

 ドイツ政府は同様の協定を最初にイタリア(1955年)、続いてスペイン、ギリシア(1960年)、モロッコ(1963年)、ポルトガル(1964年)、ユーゴスラビア(1968年)と締結している。当時の西ドイツ経済の労働力不足の深刻さが想像される。

 他方でトルコは同様の協定を、オーストリア、ベルギー、オランダ、スウェーデン、フランスなどと締結している。これを契機に大量のトルコ人労働者の欧州出稼ぎ移民が始まった。それはちょうどトルコ国内において農村から都市へ、小都市から大都市への労働力の移動が始まった時期とも重なっていた。

ドイツはじめ欧州に残留するトルコ人

 短期の移民労働者であるはずトルコ人の多くは、次第に出稼ぎ先での定住を求めるようになり、さらに家族を呼び寄せるトルコ人が少なくなかった。特にドイツでは定住傾向が強かった。理由は長く働くことで熟練労働者となり昇給・昇進が実現したことだ。

 他方、雇用する企業側も長期雇用するメリットがあったようだ。同じ能力のドイツ人よりもトルコ人熟練労働者を低い賃金で雇用できたこと、新たな未熟練労働者を雇用する場合に必要となる採用コスト・教育訓練コストを節約できたことなど。

ドイツに残留したトルコ人の多くは貧困層という現実

 少し古いが独立行政法人労働政策研究・研修機構の『50年後のドイツのガスト・アルバイター(ゲスト労働者)』という2014年の報告書に興味深い分析があった。1964年に西ドイツに100万人目のゲスト労働者が入国してから50年後の2014年の時点で過去半世紀の外国人労働者の動向を分析したものだ。関連部分の要約を引用したい。

  • ゲスト労働者の内訳を見ると、1960年代初頭はイタリア人の割合が最も多かったが、1970年代初頭からはユーゴスラビア人、そして最終的にはトルコ人が最多となった。注)2021年時点の在ドイツのトルコ人は275万人。ドイツ統計局によると同年のドイツ総人口8320万人の内2230万人(27%)が移民の背景をもつ。つまりドイツは総人口の4人に1人は移民系ということになる。
  • 2012年のドイツ公的老齢年金の平均受給月額ではトルコ人男性は742ユーロでありドイツ人男性の1109ユーロの67%である。現役時代の賃金格差や失業期間が長いなどの理由で受給額に大きな格差が生じている。
  • 2012年の調査ではドイツ国内の65歳以上の貧困リスク率(相対的貧困率)はドイツ人では13%だがトルコ系平均では55%。

 1961年から始まったトルコ人のドイツへの出稼ぎで現在でも300万人近いトルコ人がドイツで生活している。トルコ人出稼ぎ者の第1世代、第2世代は老境に入っているが彼らの半分は貧困層というのが実態のようだ。

 筆者がトルコ国内で遭遇した元ガスト・アルバイターの人たちは全体から見たら一握りの勝ち組なのだろうか。

以上 次回に続く

Facebookでフォロー Xでフォロー メルマガに登録
▲「Wedge ONLINE」の新着記事などをお届けしています。

新着記事

»もっと見る