2026年1月17日(土)

絵画のヒストリア

2026年1月17日

 1906年に書いた『草枕』はかつて過ごした熊本のひなびた温泉場を舞台に、一人の画工(画家)が俗塵を逃れて「非人情」の天地に遊ぶ。そこで出会った那美という女性にジョン・エヴァレット・ミレイの『オフィーリア』を重ねてついに「解脱」の境地に至るという、芸術家の小説である。

ジョン・エヴァレット・ミレイ「オフィーリア」1851-52年 英テイト・ギャラリー(John Everett Millais, Public domain, via Wikimedia Commons)

 〈私が身を投げて浮いている所を―苦しんで浮いてる所じゃないんですーやすやすと往生して浮いている所を―綺麗な画にかいてください〉

 温泉の浴場で出会った出戻りの那美の注文は、ミレイの「オフィーリア」のなかで水草に包まれながら仰向けでやすやすと水の中に浮かんでいる絵のようなモデルである。日露戦争で大陸へ出征する別れた夫を見送る那美に伴って赴いた熊本駅のホームで、画工は那美の顔に一瞬の〈憐れ〉を見出して、「それだ!それだ!それが出れば画になりますよ」と叫んでこの〈ファム・ファタル〉の物語は終わる。

 ここには西欧化と富国強兵の道を歩む明治日本の辺境に漱石が見出した芸術家の理想郷が、東洋的な〈桃源〉のイメージとして暗示されているのかもしれない。

日本への幻滅を残した八雲

 一方、八雲は1896(明治29)年、帝大講師への赴任にあたってかつて足を運んだ出雲を再訪した折にこんな文章を残している。

 〈しかし、結局のところ、一度愛し棄て去った土地を再び訪ね、無傷でいることはできない。何かが失われていた。何か目に見えぬものーその不在こそが、私の胸中の漠たる悲哀の源なのだ。私はそれがなんであるかを考えてみた〉(出雲再訪』)

 帝大解雇という予期しない事件が、八雲の中に目に見えない〈日本〉への幻滅を育てたことはおそらく疑えない。かつての〈妖精の国〉が彼のなかでどのような翳りをもたらしたのか。それを確かめるいとまもなく、1年後に八雲は東京で54歳の境涯を閉じた。

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