重要な渦中の人の「語り」
吉田さんの秘蔵映像は、地元の人々に語りかける姿勢を貫いていた。
「昨年末(2011年)から病気で入院しておりまして、まだ体力が回復してございません。そういう中でビデオレターという形で失礼いたしますことをお許しください」と冒頭で述べている。映像は27分間にわたっている。
東京電力の事故関係者が公に発言する機会はあまりない。映画『Fukushima 50』(2020年、若松節朗監督)の原作であるノンフィクション『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』(門田隆将著)の解説の中で、社会学者の関沼博さんが次のように述べている。
「(東電に対する)強い懲罰意識が存在したからだ。…問題なのは、その渦中、ど真ん中にいた者たちの記憶・記録に基づいた語りが世に残されるプロセスが途絶えた時期があったということだ。これは課題抽出、教訓の継承を不可能にする一大事だ」
NHKスペシャルが15年間にわたって、メルトダウンについて調査報道してきた延長線上に、今回の吉田さんの秘録画像の放送があった。『TV読本』においては、NHKスペシャルについて「福島原発メルトダウンの原因追及続ける魂のドキュメント」(23年3月30日)、「廃炉への道 2019年核燃料デブリとの闘いが始まった」(19年3月20日)などを紹介してきた。
今回の『原発事故15年 秘蔵ビデオが語る事故の真相』は、メルトダウンの過去について「語り部」としての吉田さんを描いたといえるだろう。
ドラマとともに見せる迫真の事故直後
2011年3月11日、巨大地震が福島第一原子力発電所の施設も大きく揺さぶった。4機ある原子炉のうち、第1、第2と第3機が稼働中だった。
過去のスペシャルドラマが迫真である。「どうした!」「なにが!」と叫ぶ所員の声のあと切迫した大声があがる。「SBO(ステーション・ブラック・アウト)です!1号機、冷却機能が喪失!」。
第1号機がまずメルトダウン、13日には第3号機がメルとダウン、そして14日に第2号機がメルとダウン。3号機はその後に水素爆発を引き起こした。
吉田さんは振り返る。「3号機の爆発がありまして、今まで経験した中で非常に、あとから考えれば、水素爆発という時点で何が起こったのかわからない。すさまじい地獄みたいな状態の中で、現場に行って上がってきて、へろへろになって寝ていない、食事も十分ではない、体力も限界という中で現場に行って上がってきて、また現場に行こうとしている連中がたくさんいました」
ドラマは、3月14日午前11時1分。3号機の水素爆発。1Fから東京の本社とのテレビ電話によって、「本店!本店!大変です。3号機、水蒸気だと思います。爆発が起こりました!」
吉田さんは語る「私は最初『行方不明者何人』と聞いた時、『数十名レベルで安否確認できない』と。これは10人ぐらい死んだかもしれないと思いました」「不幸中の幸いで人命に関することはなかった。これは何かある意味、仏様のおかげかなって感じが、わたしはしました」
3号機の水素爆発後、最大の危機に陥ったのは2号機だった。放射性物質を閉じ込める、最後の砦である「格納容器」を守る闘いだった。
