2026年3月15日(日)

田部康喜のTV読本

2026年3月15日

 吉田さんは続ける。「しゃべりだすと、細かくなるんですけど、基本的にわたしが考えていたのは、発電所をどうやって安定化させるかということに尽きるですね。そういう時に、我々が現場を離れるということは絶対にあってはいけない」

 ドラマは切迫したシーンに絞り込まれる。本社からは、格納機内部の圧力を下げるために内部の気体を外に出す「ベント」の指示だった。「ドライベントをできるだけ早くやれ!」「余計なことを考えるな!こっちで責任は全部とるから!」

 吉田さんは叫ぶ。「ドライベントの準備してますから!ディスターブ(邪魔)しないでください!」

現場は何を考えていたのか

 この時、吉田さんは最悪のシナリオを考えていた。「結局、我々が離れてしまっては注水ができなくなってしまう。もっとひどく放射能が漏れるわけでございます。そのまま放っておきますと、もっと放射能が出てきて、福島第二(原子力発電所、2F)の方も、一生懸命プラント(原発)を安定化させようとしていましたけど、あそこにも人が近づけないようなレベルになってしまうかもしれない。そうなると、非常な大惨事になりますから」

 最悪の事態は、1Fに近づけず制御不能。ここから南に10キロメートル(㎞)にある2Fも制御不能になる。そうなると、東日本が壊滅すると。

再現ドラマで見せた現場の対応

 ドラマは3月15日朝。2号機のサプチャン(格納容器の一部)の圧力がゼロになった。吉田さんは「サプチャン圧力ゼロ?!」。周囲から「格納容器が壊れた!」「大きな穴が開いたと思います。とんでもない量の放射性物質が出てきますよ!」

 吉田さんは、現場に約70人を残して、残りは退避を命じた。そして、残った者に対して、ホワイトボードに自分の名前をそれぞれ記すようにいった。

 吉田さんはその瞬間を思い返す。「ほとんど思い出せないんですけど。たぶん、おそらく、最後まで残って戦ったのはこんな人間だぞって残しておこうってことだったと思いますよ。今から思うわけです。分からないです。私自身も」

 「声をかけていただけです。私は。何もできない。みんながやってくれた、いまだにそう思っています」

 のちの調査によって、2号機の格納機は大規模な破損はなかった。格納容器のつぎめから、内部の気体が漏れたと推定されている。

 「天の助けがないと、もっとひどいことになった」と、吉田さんは語っている。

 「天の助け」といい「仏様のおかげ」といい、吉田さんの当時の気持ちが残された映像から心に迫りくる。

 しかも、体調が回復したら、再び1Fの地を踏んで「廃炉作業」にかかわるつもりだった。

 「すぐに答えはでないんですけど、やはり発電所(1F)を少しでも安定する。それには人も必要ですし、技術も必要です。いろんな知恵が必要です。だからもう一度、そこに傾注するというか一番重要なことだとおもいます。その上で、次の手段として、地元の方々とどういう形で幸せな生活にお戻りいただけるかを考えていくんだろうという風に思っております。わたし、ちょっとまだ体力不十分で体力がまだ整ってませんけれども、これからまた戻りましたら、現場のためにどうするのか、次につなげるような活動をしていきたい」


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