秋田県のハタハタ漁業が、存続の淵に立たされている。
1月15日に終了した秋田県沿岸ハタハタ漁の漁獲量は110.5キロと過去最低を記録、沖合も漁期の最盛期を終えていることから、この時点での沖合漁獲量5.5トンを足しても5.6トンに過ぎない。盛漁期は終わったことから、昨季の17トンを下回ることは確実である。1968年に記録された2万607トンから比べると99.97%減、90年以降に記録された最高漁獲量の3055トンと比べても99.8%減となる。
かつては「日本の水産資源管理の成功例」
ハタハタは日本における水産資源管理の成功例と持て囃された過去がある。
秋田でハタハタは少なくとも江戸時代から産業的に漁獲されていた記録があり、統計のある明治期からの漁獲量を見ると、数年から30年程度の周期で、数百トンから数千トンの不漁と豊漁のアップダウンが繰り返されていたことがわかる。これが船や漁法の近代化と歩調を合わせるように1950年代末から漁獲が急激に上昇し、最盛期の60年代には年間2万トンという空前の漁獲が記録されている。
余りにも獲れるので箱詰め用の箱が足りずに海に捨てられたり、漁場に行くと「ハタハタはタダでいいので箱代だけ置いていってくれ」と言われたという逸話も記録されている。当時の箱代は約50円。箱には約11キロのハタハタが入るとのことなので、キロ5円もしないということになる(田宮(2009), p.58-59)。
このような状況は長くは続かなかった。70年代中頃から漁獲が激減、91年には40トンにまで落ち込んでいる。この漁獲の急減については、ハタハタにとっての環境条件(海水温)が70年代半ば以降悪化し、その後の乱獲が追い打ちをかけた、とのシミュレーションに基づく論考も発表されている(Watanabe et al. 2005; Watanabe et al. 2011)。
漁獲統計を見ると、豊漁に沸いた59年から78年の20年間の漁獲量は、記録がある1894年から1958年までの64年間の漁獲量の2倍に迫る。86年当時、県水産部は不漁の原因を「取り過ぎ」との見方を示している(朝日新聞1986年5月19日)。
こうした中、秋田の漁業者は資源回復のため「ハタハタ資源管理協定」を締結、1992年から3年間の休漁に合意した。解禁後は秋田県の漁業団体と秋田県で組織するハタハタ資源対策協議会の下で資源管理措置を策定、実行に移された。県の資源量推定に基づく自主的な漁獲枠の設定が中心的内容となっていた。
秋田県の調査による推定資源量の半分を漁獲枠とし、これを定置や刺し網で操業する沿岸漁業と底引き網で沖合漁業を操業する県内漁協に配分、漁況内の配分は漁協単位で決めるというものである(中村(2018), p.91)。禁漁を経て資源は順調に回復、禁漁明け当初は143トンだった漁獲量は2004年には3055トンとピークに達している。
