2026年5月22日(金)

解剖:「大きな政府」を好む日本

2026年5月22日

家族互恵の三段階的解体

 少子化は、突然に現れた政策課題ではない。国家主導型の制度設計が数十年にわたって家族的互恵の基盤を侵食し続けてきた帰結として読まなければならない。18世紀ナポリ王国の思想家アントニオ・ジェノヴェージの言葉を借りれば、「家族という信頼と互恵の最初の学校」が日本においていかに解体されてきたかを、三段階で整理できる。

第一段階:家制度による家族の国家単位化(明治期~1945年)

 明治民法は家族を市民的自律の空間として設計せず、国家統制の末端行政単位として編成した。垂直的権威への従属を核心とするこの制度が国民に刷り込んだのは、家族とは支配と服従の場であるという感覚であり、水平的互恵の実践としての家族像は根本から排除された。

 さらに戦時下において「産めよ殖やせよ」という人口政策が国家命令として家族に課されたことは、この傾向を極限まで押し進めた。子を産むことが市民的選択ではなく国家への奉仕として意味づけられた社会において、子育てという行為が市民の互恵的実践として内面化される機会は失われていった。

第二段階:企業的擬似共同体による家族機能の吸収(高度成長期~1990年代)

 男性稼ぎ主モデルと終身雇用・企業内福祉の組み合わせは、家族を企業への帰属を通じて間接的に保護する構造を作り上げた。しかし、この構造において家族は企業という上位権威に付属する単位として位置づけられ、夫婦間・親子間の水平的互恵関係は企業の庇護の下に隠蔽された。長時間労働は男性を家族的互恵の実践から物理的に切り離し続け、企業の転勤慣行は近隣における子育て互助ネットワークを系統的に破壊した。

 企業的擬似共同体は家族を保護したのではなく、家族が信頼と互恵の実践の場として機能する回路そのものを遮断したのである。

第三段階:孤立した個人の出現(1990年代以降)

 バブル崩壊と雇用流動化は企業という擬似的な互恵の枠組みを解体したが、その代替となる市民的中間組織は用意されなかった。特に非正規雇用として労働市場に参入した若年層は、企業的共同体へのアクセスも地域的共同体への帰属も持てないまま、孤立した個人として社会に放り出された。

 この孤立した個人にとって、長期的コミットメントとしての結婚・出産は、信頼の基盤を欠いた社会においてきわめてリスクの高い選択とされる。少子化・未婚化の急速な進行は、この経路が閾値を超えた瞬間に起きた、互恵基盤崩壊の人口論的爆発として理解できる。

大きな政府が少子化を悪化させる論理

 1990年代以降、国家は企業的擬似共同体が担ってきた機能を社会保障給付によって代替しようとしてきた。介護保険・子育て支援の拡充・生活困窮者支援制度の整備。これらは不可欠な政策的対応であったが、同時に深刻な逆説を内包していた。

 国家の給付が市民の互恵を代替する時、市民的自律の空間はさらに収縮する。老後保障・子育て支援・介護給付という社会保障の拡充は、家族的互恵の経済的基盤を段階的に掘り崩す。

 老後保障をすべて公的制度に委ねると、世代間で支え合っているという互恵的関係の実感が弱まりやすい。子育てを保育サービスが代替する時、近隣の子育て互助ネットワークは不要なものとなっていく。介護を専門的サービスが担う時、家族と近隣が介護という互恵的実践を通じて信頼を積み重ねる機会は消滅する。

 もちろん、保育・介護サービスは現代社会に不可欠であり、それを何が何でも縮小すべきだという議論ではない。問題は、制度サービスが市民的互恵を補完するのではなく、完全に代替する形で設計されるとき、地域や家族の信頼形成の機会が弱まる点にある。

 これは個々の政策の善悪の問題ではなく、給付型社会保障が構造的に内包する論理的帰結である。制度は信頼を前提とするが、信頼そのものを生産しない。国家の代替は空白を制度的に覆うが、公的信頼(fede pubblica)の生産基盤としての中間組織を再生しない。


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