少子化への政府の応答もまた、この経路依存を繰り返している。保育所の整備・育児休業の拡充・児童手当の増額は、それ自体として必要な政策的対応である。しかし、それらが子育てを国家サービスと金銭給付の組み合わせとしてのみ捉える限り、親同士の相談、地域住民による見守り、一時的な預かり、子どもの居場所づくりといった、近隣における子育て互助は政策の射程外に置かれ続ける。したがって、この応答は症状への対処にはなっても、互恵基盤の再建という病因への処方にはなっていない。
公的信頼崩壊が起こした少子化
少子化は、公的信頼の崩壊が人口減少という形で可視化した現象である。出生率が低下するとき、そこには単なる経済的インセンティブの不足ではなく、社会への根本的な信頼の喪失が刻印されている。
第一に、少子化は倫理的信頼損傷の証拠である。婚姻・出産・育児は、相手が誠実であるという倫理的信頼と、社会が自分の子に対して公正であり続けるという信頼を前提とする。
企業不祥事・制度的腐敗・経済的格差の固定化という倫理的信頼の侵食は、将来への見通しを暗くし、長期的コミットメントへの参入を抑制する。未婚化の進行は、相互の誠実さへの信頼が社会的に共有されなくなった状況の反映である。
第二に、少子化は経済的信頼歪曲の証拠である。子を産み育てることは、将来の経済的互恵への投資であり、社会が老後と子の将来を支えるという信頼に依存する。
国家後見主義体制が崩れた後、年金制度の持続可能性への疑念・労働市場の不安定化・住居費の高止まりという経済的信頼の空白が拡大した。若年層が少子化を「自分たちの世代は損をする」という経済的不信として経験していることは、各種調査が示す通りである。
第三に、少子化は政治的信頼の形骸化の証拠である。将来世代のために今を投資するという選択は、政治が長期的な公共の幸福を守るという信頼を前提とする。
しかし少子化対策をめぐる政策の迷走・財政悪化の放置・社会保障負担の若年世代への転嫁は、「政治は将来世代に責任を負わない」という不信を若年層に蓄積させてきた。社会保障費の増大が少子化を悪化させ、少子化がさらに社会保障財政を圧迫するという悪循環は、この政治的信頼の形骸化の制度的表現にほかならない。
未婚化は単なる経済的問題ではなく、互恵の実践基盤が失われた社会において長期的コミットメントへの参入が困難になるという、より深い問題の表れである。つまり、結婚や子育てを望む人々でさえ、長期的コミットメントに踏み出しにくい社会的条件が広がっているということである。
孤独死は、家族・近隣・職業共同体という三つの公的信頼生産の場がすべて同時に機能を失った状態の最終的な帰結である。少子化と孤独死は、個々人の選択や責任に還元できない。むしろ、社会の支え合いの回路が弱まった結果として、人生の始まりと終わりの局面に孤立が現れていると見るべきである。
給付から互恵へ
この三次元的な信頼崩壊の証拠として少子化が示すことは、少子化対策が経済的インセンティブの付与によって解決できないという事実である。必要なのは、子を産み育てることが合理的選択となるような市民が互いを信頼し、社会の持続可能性を信じ、政治が将来に責任を負うという信頼の基盤の再構築である。
第一に、「財政問題」から「信頼の再建問題」への再定義。出生率目標の設定・給付額の増大という量的アプローチではなく、婚姻・育児という長期的コミットメントを支える信頼の土壌をいかに再建するかという問いへの転換が出発点となる。
具体的には、非正規雇用の正規化・長時間労働の是正という労働市場改革が少子化対策の中核に置かれなければならない。これらは経済政策としてではなく、長期的コミットメントへの参入を可能にする信頼基盤の整備として理解される必要がある。
