問われている報道の「一貫性」
磐越道事故への報道追及は必要なものだった。白バス疑惑を問い、杜撰な安全管理を問い続けることは報道の本来の役割とも言えるだろう。高校生の死を無駄にしない唯一の道は、構造的な問いとして引き受けることにある。
だからこそ問わなければならない。その「正しさ」は、辺野古でも等しく発動されたか、されていないなら何故か、ということだ。
たとえ伝統メディアへの信頼や依存が減少しようとも、現代社会において情報は常に人々に求められ続ける。伝統的な報道機関には、担うべき喫緊の役割があるのではないか。それは、取材対象の政治的信条や権威、自社の編集方針という「正しさ」の色眼鏡を外し、いかなる属性の主体に対しても同一の解像度で取材するという本来の役割に徹するということであると筆者は思う。
「弱者の味方」や「反権力」を掲げた別の権力を守るための沈黙やポジショントークに終始せず、事実そのものを護るための公正さの徹底。その一貫性を取り戻すことこそが、公共の信頼を回復し、言論の自由や平和と民主主義を護るための真の道であるはずではないか。
困難な課題だが二つの事故報道のあり方を通じて改めて社会全体で考えたいと思うのである。
