ある年の7月初め頃の休日の朝、工作クラブの作業のためにいつものように秋津小学校コミュニティルームに入ると、入り口すぐのところに机が置かれ、そこには朝顔やひまわりなどの苗が5・6個ほどありました。
「わたしたちが育てました。ひとつ50円です」と、たどたどしい字で書いてあります。
その下には2年生の担任の字で、このように書かれてあります。
「コミュニティのみなさんへ。子どもたちが生活科の授業で育てた苗です。よろしかったら買って下さい」
どの苗にもデパートなどの包装紙が、こぎれいに巻かれています。
私はとてもうれしくなって、ひとつを選び50円のところを奮発して100円玉を、子どもたちが手づくりした箱に入れました。
夕方見ると、まだひとつ残っていたので、ほかのお父さんに「せっかく子どもたちが育てているんだから買いなよ!」と、強引に売りつけて完売しました。
私は、ここまで学校が開かれてきたのか! と、なんともいいようのないうれしい気持になりました。
そのうれしさは、学校で子どもたちが地域の大人たちを巻き込みながら、堂々と物を売って金稼ぎをするようになってきたからです。
しかも、生活科の正規の授業の一環としてはじめたからです。
このうれしさの伏線が前回お話しした、うれしさとはまったく逆な、子どもの金稼ぎについてのにがい想いがあったことなんです。
子どもたちの豊かな育ちのために
さて、翌週にコミュニティルームに行くと、また5・6個ほど売っている! ではありませんか!
「こいつら一度に売らないで、ちびちび出すなんて、しっかりしているなぁ」と、妙に感心してしまいました。
そして、「どなたか、買った方で名前を書き忘れてはいませんか? 入っていたお金が50円多いです」と書いてありました。