もちろん、ここから市民革命までの道は遠い。しかし、万人が万人の敵となる無政府状態から、人間の命を大事にする政体に近づく前に、啓蒙専制君主が必要だったのだろう。そこで生まれた平和と豊かさが、争いを合理的に解決しよう、人は殺して奪うのではなく客として扱って利益を得る対象と考えるべきだ、豊かさを楽しみ、それを分け合おうという態度をもたらすことになった。
文楽と歌舞伎の傑作「義経千本桜」で、船宿の主、渡海屋銀平は、船待ちの順番を無視して船を出せと迫る鎌倉方の武士に、「一夜でも宿泊すれば商い旦那様」、自分の客は平等に扱うのが宿主の務め、船待ちの順番を崩すこと、女に乱暴するなど許さぬと見えを切る。お侍様の刀は他人の狼藉を防ぐ道具で、それゆえ武士の武の字は戈を止めると書くと説教した上に、切りかかる鎌倉武士の刀を奪ってみね打ちにする。見物の町人たちは喜んだに違いないが、渡海屋銀平は、実は平知盛という武士であるから、江戸幕府もお咎めなしということなのだろう。何しろ、知盛は「見るべきほどのことは見つ」と言って壇ノ浦に沈んだ平家方最大のヒーローなのだから。
なぜ民主主義が混乱をもたらすのか
ここでもう一度、第1の問題について考えてみよう。王には臣民との契約を守るインセンティブがあった。ヨーロッパの多くの王たちは契約を守ろうとした。江戸の将軍たちもそう考えた。しかし、もちろん、それだけでは十分ではない。臣民から選ばれた代表が国家を運営すれば、人々を無慈悲に扱ったり、むやみに高率の税を課したりしないだろうという代議制民主主義の思想が生まれた。それは欧米から生まれ、日本に渡来し、全世界に広まった。それはアラブの独裁国にも広まるはずだった。2010年から12年にかけて盛り上がったアラブの春によって民主主義革命が起こり、これらの国は平和になり、人々は幸福になるはずだった。ところが、そうはなっていない。
実は、この混乱は、民主主義の政体を構想していた人々によって、すでに予想されていた。民主主義は自由な選挙によって自分たちの指導者を選ぶ制度である。しかし、それだけと考えれば、むしろ混乱を招きかねない。自由な選挙によって、民衆の多数が少数に対して、特定の宗教やイデオロギーを押し付ける指導者を選べば、混乱の原因となる。
アメリカ独立革命の指導者は、造物主(神と言わないのは、様々な神の解釈によって対立した宗教戦争の記憶があったからである)が人民に与えた権利を、人間である王が奪ってはならないのはもちろん、人民によって選ばれた政府も奪ってはならないとした。
では、造物主が人間に与えた権利とは何か。権利章典と呼ばれる合衆国憲法修正条項10カ条であり、信教・言論・出版・集会の自由、合理性のない捜索、逮捕、押収の禁止、財産権の保障、刑事上の人権保障、残虐で異常な刑罰の禁止などである。