なお、アメリカで銃の所有の自由の根拠となっている人民の武装権も修正第2条として、この中に入っている。そこには、「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」とある。これらは、造物主が与えた権利であるから、人間が変えてはならないものである(だから、アメリカでは、銃の規制も難しい)。
天賦人権論と富の創造への理解
明治の日本人は、驚くべきことに、民主主義における権利章典の意味をすぐさま理解した。造物主が人間に与えた権利を、天賦人権と訳した。天の与えたものは、藩閥政府はもちろんだが、民権活動家が成立すべきと考えた民主主義の政府も奪うことができないに決まっている。
天が人間に与えた権利とはフィクションかもしれない。しかし、このフィクションをすべての国民が信じなければ、民主主義の政体は、むしろ混乱をもたらす可能性がある。国民の51%の人間から選ばれた政府が、この宗教を信じるべきだ、49%の財産を奪っても良いなどと言いだせば、国民同士の争いは避けられない。むしろ、権利章典のない民主主義は、自由な選挙があっても(自由な選挙もない国が多いのだが)、民主主義ではないと考えるべきである。
誤った民主主義の政府なら、少数派が強権によって維持している政府の方がマシかもしれない。少数派であるがゆえに、多数派はもちろん、他の少数派の信教の自由や財産を奪おうとしたりしないことが通常であるからだ。別に、倫理的に優れているからそうしないのではなくて、軋轢が大きくなりすぎて、自分たち少数派の支配が揺らぐことを恐れているからである。
民主主義が成立する前に、リヴァイアサンの登場が必要だった。万人の万人に対する戦いを止めさせるために王が必要で、それを王も臣民も理解するという時代が必要だった。この時代に資本主義と市場経済が徐々に発展していった。
資本主義の特徴は、富は奪わなくても創造できると考えることである。富を創造するためには平和が必要で、人々が自らの権利と思うものを相互に尊重しあうことが必要だと考えるようになる。ここから、権利章典の思想が生まれる。江戸時代にも、女に乱暴などせず、客として平等に扱うことが大事だと考える渡海屋銀平が登場する。資本主義のもたらす平和の思想の萌芽である。
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