不透明となった2017年以後の映画
ここまで、2016年の日本映画情況を4つの点から描出してきた。①創り手では強い作家性のアニメ監督が台頭し、②受け手では、能動的な観客の姿が確認できた。③作品内容では映像美豊かなアニメが中心となり、そして④「天災的想像力」の作動する日本社会を描き出した。
本稿ではこうした情況の良し悪しを問うことは避けるが、最後に予想と言うほどではないが、2017年以降の傾向について触れていこう。
周知の通り、アメリカでトランプ大統領が誕生したことによって、国際情勢は大きな変化を見せる可能性が高い。ただし、就任から間もない現在、先行きはまったく不透明のままだが。
もちろん日本も蚊帳の外にいるわけではない。トランプ大統領の保護主義的な政策は、これまで対米追従路線を取ってきた日本にとっては、大きな変化を余儀なくさせる可能性がある。アメリカとの同盟を優先してこのまま孤立路線に突入するか、それとも袂を分かって独自路線を模索するかはまだわからない(おそらく日本政府も先行きが見えていない)。
ただし、映画の創り手も観客も作品内容も、こうした大きな政治的な変化に大きく左右されることは間違いない。70年以上も続いてきた体制が変われば、当然映画にも大きな変化が生じるだろう。思考停止リスクをはらむ「天災的想像力」だけでは、処理できない局面に立たされる可能性があるからだ。
そのようにして訪れるかもしれない未来が、日本映画にとって、あるいは日本社会にとって、良いものになるか悪いものになるかはいまの段階ではまったくわからない。
そしてまた、これは国際政治だけで生じているわけではない。メルトダウンを起こした福島の原発は、6年経ったいまも遅々として処理が進まない状態にある。これからウン十年も続くそれは、(どう考えても人災だが)「天災で生じた、しょうがない不運」としては処理できない情況となる。
「天災的想像力」は、ある種の魅惑を秘めている。それは、戦争や人災などどんなものを放り込んでも手頃に処理してくれるマジックボックスとしての魅惑だ。これから問われるのは、この「天災的想像力」に果たして今後どれほどの耐用年数があるのか、ということだ。
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