繁盛しているガソリンステーション
“Liberty”というサインポールを掲げたガソリンステーションは田舎にしては不思議なほど繁盛している。ひっきりなしに車が出入りしている。ガソリンステーションには飲み物や若干の食品も売っていた。
30代前半と思しきインド系青年が一人で切り盛りしている。給油したり買い物したりする客の対応に追われていた。
ガソリンステーションの横にはカフェが併設されているが、現在は閉鎖されているようだ。カフェには南向きのテラスがあり北風の風雨を凌ぐには格好である。ガソリンステーションは夕刻には閉店するが、防犯のためにサインポールや一部の照明は夜間も点灯するので治安的には安心だ。隣の2軒の民家も人が住んでおり夜間に問題が発生すれば助けを求められると判断した。
接客が一段落した時を見計らってインド系青年に「今晩宿泊する場所をさがしている。隣のカフェのテラスに一人用テントを設営したいのだが、どうだろうか」と打診した。彼は雇われのマネージャーらしく即断できず躊躇していたが、「今晩営業が完全に終了してからテントを設営すること。明日営業開始する午前7時前にはテントを撤収して退去すること」と条件付きで渋々承諾。
夜半に激しい雨音で目を覚ましたが、テラスの屋根が大きく被害ゼロにて朝まで快眠。
大河クラレンス川の流域、Clarence Valley
11月21日からグラフトンを経てウルマーラ、マクリーン、ウッドバーンという三つのクラレンス河畔の小さな町でキャンプした。いずれも河畔の市民公園のバーベキューハウスですこぶる快適であった。
ウルマーラ河畔で夕焼けを眺めていたら、小さな子供連れの家族が川面を指さして叫んでいた。イルカが泳いでいるとのこと。散歩中の地元のご婦人が季節になると毎年イルカの群れがクラレンス川を遡上してくると教えてくれた。
ご婦人によると、ウルマーラは1800年頃に入植が始まった由緒ある町で、現在の中心都市のグラフトンよりも大きな町であったという。しかし20世紀初頭の洪水で大被害を受けて住民の大半はグラフトンに移住。現在のウルマーラの人口は400人。
公園のジャカランダの大木は満開で薄紫の花が咲き乱れ幻想的だ。200年前に入植者が南米からジャカランダの苗木を持ち込んで育てたという。
翌日ウルマーラからフェリーでクラレンス川の中州に渡った。巨大な中州には牧場やサトウキビ畑が見渡す限り広がっていた。中州を半日走って橋を渡ってマクリーンに到着。
サーファーズパラダイスのコールドシャワー
11月26日。早朝に海岸近くのカジュアリーナという新興高級住宅地の公園を出発。そろそろゴールドコーストが近くなってきた。にわか雨が止むと強烈な日差しが照り付ける。半袖・短パンのユニフォームに着替えて、海岸線のサイクリングロードを北上。
太陽を真向かいに受ける。南半球ではお天道様は東から昇って正午には真上よりも少し北になるからだ。午後3時頃猛暑に我慢できず、顔や手足の日焼けを冷やすためにビーチのシャワーを浴びた。
11月27日。明け方、手足がひりひりと痛くて目が覚めた。前日に数時間直射日光を浴びただけで手足に無数の小さな水ぶくれが出来ている。日焼けを通り越して火傷だ。
氷雨のシドニーを出発してから3週間、真夏のゴールドコーストに辿り着いたようだ。道路標識は『ブリスベンまで40キロ』を示していた。
⇒第7回に続く
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