この映画をみたのは香港の油麻地にある小さな映画館であった。私以外はおそらく全員が香港人であったと思うが、誰もが身じろぎひとつせず、スクリーンを見つめていた姿が忘れられない。映画館から出ていく誰もが口を一文字に閉じていた。そう、この映画は、香港のどこにでもあり、誰もが日々見ている世界なのである。
オリジナルタイトルは『一念無明』という。これは仏教用語で、悩みごとが悩みごとを生んでいき、訳がわからない迷路に迷い込んでしまうという意味を持っている。主人公は、父の喪失、母の介護、私生活の破綻、精神疾患などの悩みに次々と襲われ、その脱出口を見失って、心の迷路を彷徨い続けている。その重苦しさは想像を超えるものだが、そこから目を背けては、この映画を十分に味わうことはできない。
かなり重苦しい映画である。何しろ主題が、高齢者と家庭崩壊、経済格差、そして精神疾患であるからだ。だが、これらの問題からまったく無縁であるという人は少ないはずだ。目を背けることはできるかもしれないが、誰もが背中合わせに生きている問題である。
映画の印象深いシーンに、友人との結婚式に招待状もなく参加する主人公を描いたところがある。主役の2人の話に誰も注意を払わず、出された料理を貪り、金儲けの話に夢中になる出席者たち。主人公はマイクを手に取り、しっかりと新郎新婦の話を聞くように呼びかける。だが、会場に囁かれる「あいつは頭が変なんだ、会社の誰もが知っている」という声に、主人公は精神のバランスを失っていく。正しいことが異常だと見られてしまう人間社会の倒錯、である。
香港は巨大都市であり、その繁栄は東京をしのぐほどに思える。しかし、大通りから一本裏側に入れば、無限に広がるかに思える入り組んだ路地に、洗濯物のものほし竿が伸び、豊かさとはほど遠い香港の現実を見ることができる。香港は自由を売りにする街だ。豊かになる自由もあるが、貧しい人間に差し伸べられる助けは薄い。