定年バックパッカー海外放浪記

2019年2月17日

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(2018.2.24~3.24) 28日間 総費用42万円〈航空券含む〉)

ダルマチアの海辺のフレンドリーなゲストハウス

ダルマチアの海(Milena Pigdanowicz-Fidera/gettyimages)

 3月17日。アドリア海を望むダルメシア地方の小さな村マルシッチのホステルに投宿。前日遭遇した自転車旅行しているオランダ人カップルから勧められたホステルだ。

 幹線道路から降りて砂浜に向かう小径を進むと、海辺に近い松林の間に建つ赤い屋根に白壁の瀟洒な二階建てのホステルがあった。

 呼び鈴を押すとスキンヘッドの筋骨隆々の大男ダンが愛想よく出迎えてくれた。荷物を満載した自転車を片手で軽々と持ち上げて階段を上がり倉庫に入れてくれた。ダンの桁違いの怪力に仰天。レセプションデスクでは可愛いドイツ娘マリーが最高にフレンドリーな応対。

 キッチンではボリビア人カップルが夕食を用意していた。ボリビア名物のピーナツ・スープ、豚肉炒め、ライスプディングの三品である。さっそくオジサンも雑貨屋で買ってきた赤ワインをチビチビ飲みながらお手伝いする。

 盛大なディナーが終わると近所の住人が遊びに来た。引退したドイツ人夫婦は旦那が海で釣った大きな鯛を手土産に持参。ソファーで地元のコニャックを頂きながら歓談。

 ドイツ人夫婦は故郷である北ドイツのハノーバーで長年暮らしてきたが、冬でも温暖な気候に憧れてダルマチアへの移住を決めたという。夏場には子供たちが孫を連れてバカンスに来るので賑やかになると楽しそうに語ってくれた。

 EU経済圏の勝ち組の筆頭であるドイツ人の中流階級では引退後は地中海気候のリゾート地で暮らすことが流行っているそうだ。スペインのコスタ・デル・ソルにはドイツ人コミュニティーができているという。

 EU圏内は人の移動が自由なので、例えば日本で本州から沖縄へ移住するのと同様なのであろう。時間的にも飛行機であれば東京から沖縄へ移動するのと同じくらいのフライト時間である。

大男ダンは元アメリカ軍兵士

 オーナーのダンは現在46歳。元々は米軍兵士。サラエボの虐殺事件で有名になったボスニア紛争の時に国連平和維持軍(UN Peace Keeping Force)の一員としてボスニア・ヘルツェゴヴィナに派遣された。

 国連平和維持軍の一員として一番長く任務に就いていたのはサラエボ北方の車で2時間くらいの山岳地帯の前線(war front)だった。豪雪地帯である。

 彼の任務は衛生兵、つまり救急隊員(paramedic)である。ダンによると実戦での衛生兵の役割は実弾の飛び交う中でいかに素早く負傷兵を救助ヘリに運び込むことに尽きるという。戦場で負傷兵をヘリまで搬送する方法は負傷兵を担ぐしかない。大男のダンは怪力を発揮して活躍したのであろう。

 ダンは6年間軍務に就いたあと退役。バルカン半島やアドリア海に魅せられて退役後は米国とクロアチアを往復して一年前に念願のゲストハウスをオープンした。15年間、米国で仕事をしては資金を貯めて、並行してクロアチアでゲストハウスの開業準備をしてきた。

 現在ガールフレンドのマリーと二人で運営している。内装はマリーが手掛けたのでアットホームな雰囲気が漂っている。

国連平和維持軍(UNPKF)に参加するということは?

 ダンは46歳というがキン肉マンで精悍な風貌なので年齢よりも若く見える。話してみると内省的性格が垣間見える。平和維持軍でのタフな任務について聞くと「兵士として命令を受けたから任地に赴いて任務を遂行したということだけさ。」と淡々と語る。

 実戦を経験した人間は概して戦場体験を静かに語るように思われる。18歳で徴兵されてベトナム戦争中ジャングルの最前線で2年間戦い抜いたオーストラリアの老人を思い出した。

 ダンは戦闘地域で与えられた任務を遂行するというハードな日々の中では正義とか国際政治とか抽象的なことを考える余裕も暇もなかったという。「目前の業務(immediate duties)を確実に正確にこなす(carry out)ことに集中することで生き延びることができる」というダンの言葉には死線を越えてきた人間の重みを感じた。

 ダンの言葉から現在でも世界各地で国連平和維持活動に何万人もの兵士が命を懸けて従事していることに想いを馳せた。

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