明治の反知性主義が見た中国

2019年2月28日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

「外交努力」も怠っていた日本

 民が民なら官も官。五十歩百歩といった状態だった。

 成都における日本の外交活動を指して「固より正路に遵ふものなり」ではあるが、四川省の政府幹部との間にパイプを築き、諸般の情勢を調査し、四川在住各国公館の動向を観察することを怠っている。一方、列強諸国が「正路に遵ふ」というのはタテマエに過ぎない。実質的には宣教師を手足のように使い、必要に応じて「高圧手段」を混ぜながら巧妙に外交を展開するわけだから、山川の説くように日本は「少なからざる不便あるを覺悟せざるべからず」ではある。つまり正直者はバカを見るのではなく、外交における正直者は度し難いバカを意味するというわけだ。

 成都に先んじて対外開放されていた重慶における「日、英、仏、米、独の四国」の領事を比較して、「英、仏、独の三領事は常に遊歴滞在の名の下に常に成都に駐在し」ている。口実を設けて未開放都市の成都に常駐し、後日を期して一帯の状況を探索している。これに対し「正路に遵ふ」ところの「日本領事は重慶に留まったままであり、四川全体の情勢把握に向けた努力が見られない。重慶の中心街に置かれた英国領事館に較べ、中心街を外れた場所で「支那家屋」を借用した「我領事館の見栄無きに対しては、人情忸怩」とせざるをえない。見栄えが大事なのだ。

 重慶における列強海軍の配置をみると、各国ともに長江上流の激流に適するように「特別建造の小砲艦」を停泊させている。イギリスの3隻は重慶の上流にまで遡航するが、フランスの1隻は重慶に係留されている。ドイツに至っては軍艦で商品を運んでいる。

 これに対し、「我日本は一艦を廻航せしむるの議ありとは夙に聞くところなるが、今は之が實行を見ず」。ともかくもグジグジと理屈を捏ねるばかりで前に進まない。英独両国艦船が彼らの利権、在留民、商権を守る任務を帯びていることは敢えて想像するまでもないだろう。

中国におけるドイツは「一日にして成らず」

 山川は成都の将来と日本の関係について考える。

 在留邦人はいるが、その中の期限付き任用の教員に現地定着の考えは期待できない。商人は将来展望を持たない。ならば、やがて対外開放され、鉄道が引かれ成都にビジネス・チャンスが生まれようとも、これまでの状況からして「恐くは本邦商人の発展」など期待できそうにない。甚だ心許ないばかりかイザとなった時に「独米の妨害あれば、(中略)成都の地には、邦人の影を留めざるに至らんも亦た知る可からざるなり」と、じつに悲観的だ。

 これでは四川において、日本が外交でもビジネスでも影響力を発揮することができるわけがない。山川が憤慨した日本外交当局の不作為・消極性、さらには官民の連携の悪さという宿痾は、それから1世紀ほどが過ぎた現在に至っても完治したとは言い難いように思える。

 そういえば日中戦争時、日本人から考えるなら首を傾げざるを得ないような形でドイツは蔣介石政権支援の態勢を崩そうとはしなかった。あれはナチスであるからか。それともドイツであるからか。山川の指摘からするなら、やはり後者ということになろうか。

 ならば現在の両国の関係の根底に、20世紀初頭以来のドイツの中国市場に対する“営々たる努力”が隠れていることを考えておくべきだろう。「ローマは一日にして成らず」の俚諺に倣うなら、やはり中国におけるドイツは一日にして成らず、といっておきたい。

 1978年末の対外開放から現在までの40年に及ぶドイツと中国の外交関係、ドイツ企業の中国市場における振る舞いを考えた時、ドイツと中国との間の1世紀以上に及ぶ因縁浅からざる結びつきを軽視してはならない――山川の四川体験が、そのことを示しているように強く思う。

  
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