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2020年2月26日

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木村正人 (きむら・まさと)

ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト。元産経新聞ロンドン支局長。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、慶應義塾大学法科大学院非常勤講師などを歴任。2012年独立。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)

 1月31日深夜、英国は欧州連合(EU)を離脱した。EUの前身である欧州共同体(EC)に加盟して47年、拡大を続けるEUと袂(たもと)を分かつ国家は英国が初めてだ。喝采と虚無、そして不安と希望が交錯する船出となった「栄光ある孤立」に未来はあるのか。最前線から報告する。

 午後11時、ロンドンのダウニング街10番地(首相官邸)玄関は英国旗(ユニオンジャック)の青・赤・白3色の光で彩られ、観光名所ビッグベンの映像が歴史的な時を鳴り響かせた。

英国のEU離脱に沸くロンドン(KYODO NEWS/GETTYIMAGES )

 議会前広場では新党ブレグジット(EU離脱)党のナイジェル・ファラージ党首が「この歴史的瞬間を祝おう」と喝采を叫んだ。EU創設を定めたマーストリヒト条約批准から一貫して離脱を唱えてきた同党首の呼びかけに、強硬離脱派の市民は英国旗を振って応えた。

 ボリス・ジョンソン首相はこの日、強硬離脱派の牙城、イングランド北東部サンダーランドで閣議を開き、「これは終わりではなく始まりだ」と表情を引き締めた。サンダーランドには最盛期に年50万台を超えた生産台数が35万台を割り込んだ日産自動車の工場がある。

 離脱の立役者ジョンソン首相のもとに馳(は)せ参じた地元政治家の中に、車で南へ約40分のティーズバレーのベン・ハウチェン市長(33歳)もいた。ハウチェン市長は生まれも育ちもティーズバレー、父方の祖先がこの地に根を下ろしたのは実に1820年に遡(さかのぼ)る。

 ティーズバレーはロンドンから地下鉄や列車を乗り継いで4時間弱。地元空港の再公有化、ロンドン・ダブリン・ベルファストなど7路線の開設、空港駅の整備を矢継ぎ早に打ち出した超多忙なハウチェン市長には二度、取材をドタキャンされた。

 三度目のこの日ようやく電話でつかまえることができた。開口一番、若き市長は「EU離脱は地元にとって大きなチャンスだ。新しい夜明けの始まりだ」と声を弾ませた。

ジョンソン政権の切り札
フリーポート構想への期待

 石炭と鉄鉱石の産地が近いティーズバレーは19世紀から製鉄で栄え、ピーク時には年間1000万トンの石炭と鉄鉱石を飲み込み、350万トンのスラブ(鋳塊)と鉄製品を吐き出した。造船や化学も強く、1970年代前半まで工場労働者で賑(にぎ)わった。旧工業地帯の人口は70万。今や見る影もなく工場は閉鎖し、周辺にはシャッター街が広がる。

旧工業地帯のティーズバレー。かつての賑わいは見る影もない
(写真:MASATO KIMURA)

 「仕事なんか戻ってくるもんか」「私たちゃあ生きてるんじゃない。ただ存在しているだけさ」と地元住民でさえ吐き捨てる街を蘇(よみがえ)らせるためにハウチェン市長がジョンソン首相に掛け合い、マニフェスト(政権公約)にも採用された秘策がある。

 港とその周辺を関税、付加価値税(VAT)のないフリーポート・フリーゾーンにする構想だ。外資を呼び込んで新しい産業を興し、EUだけでなく、北米・南米・アジア・オーストラリア・英連邦加盟国とティーズバレーを結ぶ壮大な構想を描く。

 今後3年のうちに自由貿易協定(FTA)で貿易額全体の80%をカバーする戦略を掲げるジョンソン政権の切り札と言えるかもしれない。フリーポートは一言で説明すれば国内に〝オフショアの産業特区〟を設けるアイデアだ。

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