2022年11月30日(水)

Wedge REPORT

2020年5月27日

»著者プロフィール
閉じる

児玉 博 (こだま・ひろし)

ジャーナリスト

1959年生まれ。85年に早稲田大学卒業後、フリーランスとして活動。「堤清二 『最後の肉声』」(文藝春秋)で、第47回大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞。近著に『起業家の勇気 USEN宇野康秀とベンチャーの興亡』(文藝春秋)。

 当時、新型コロナへの恐怖が蔓延していたこともあり、同省が打診した業者はどこも感染を恐れて及び腰だった。困り果てた同省が頼ったのが、参議院議員、佐藤正久だった。

 前号でも紹介したが自衛隊OBの佐藤は、化学科出身であり、また西アフリカでパンデミックとなったエボラ出血熱の発生源にまで足を運び、つぶさに見てきた日本の政治家では数少ない感染症のエキスパートなのである。

 佐藤が方々に手を尽くして探し出してきたのが横浜の特殊清掃会社の1つ「ユニゾン」だった。

 設立されて数年、社員数も10人にも満たない会社だった。社長、大竹亮輔にしてもまだ24歳の若さだった。運営会社はその規模の小ささに難色を示したが、手を挙げる業者がいない中、一人でも多くの作業員がほしかったのも事実だった。

 一方、佐藤もスタッフを横浜まで派遣し、ユニゾンの意思を再度確認させる。無理強いさせる仕事ではなかった。

 「途中で投げ出すことはできない」「大丈夫か」「できるか」との問いかけに、大竹は「自分たちの会社が少しでも社会に役に立てるんだから、どうかやらせてほしい」と答えた。

防護服の着替えは
1日5回

 ユニゾンが現場に入ったのは3月20日。他の同業者にも声をかけて作業員を集めていたが、初日には間に合わず、ユニゾンの社員等5人が横浜埠頭に集まった。社員の中には、本人は参加したがっていたものの、家族の反対で作業に従事ができなかった者も少なくなかった。 

 5人の前に全長290メートル、高さは54メートルにも及ぶダイヤモンド・プリンセス号が音もなく横たわっていた。大竹らの目にその姿は、さながら山のような偉容だった。

 消毒液はベルフォアが用意していた。大竹らは、医療用の防護服をまとい、世界の3つの公的機関、CDC(米国疾病予防管理センター)、WHO(世界保健機関)、厚労省が認定した新型コロナウイルス対処方法に則ったやり方で除菌、消毒作業に入っていく。

 大竹らが運営会社とベルフォアから任されたのは、船内のいくつもあるレストラン、映画館、屋外プールなどだった。何層にも重なる船内はさながら迷路のようだった。人気の無い船内は静まり返り、また照明も落とされている箇所も少なくなく、太陽光の差し込まない場所は薄暗く、それだけでも不気味だった。

 時間との闘いでもあった5人は、指示された通りの作業を黙々と進めていく。疲労から作業のスピードが落ち始めると、大竹がチームのリーダーとして、部下たちを励ました。

 それでも、防護服を着ての重労働は、防護服の中の温度を急速に上げる。1時間足らずで汗まみれになった5人は、着替えのために下船し、下着を替え、新たな防護服に身を包み、また船内へと入っていく。こうしたことを1日に5度繰り返すと、体力的な消耗はもちろんだが、精神的にも相当なダメージを受ける。

クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の消毒・清掃作業。医療用の防護服を着用するが、すぐに汗だくになるため1日5回の着替えが必要になる。心身のストレスは想像に難しくない (ⓒCTEH, WITH PRINCESS CRUISES)

新着記事

»もっと見る