世界で火花を散らすパブリック・ディプロマシーという戦い

2020年7月29日

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桒原響子 (くわはら・きょうこ)

日本国際問題研究所研究員・未来工学研究所客員研究員・京都大学レジリエンス実践ユニット特任助教

1993年生まれ。2012年米国ウエストバージニア大学において、国際政治学や通訳翻訳等を学び、2017年大阪大学大学院国際公共政策研究科修士課程修了。笹川平和財団安全保障事業グループ研究員、外務省大臣官房戦略的対外発信拠点室外務事務官を経て、現職。専門は、国際公共政策、パブリック・ディプロマシー、ストラテジック・コミュニケーション、メディア研究、世論等。

成功と失敗を繰り返してきた米国の国際報道

 VOAは、「米国のストーリーを伝える」という使命のもと、第二次世界大戦中には、米国の広報作戦の最前線に立ってナチスのプロパガンダに対抗したが、現在では、政府から独立した報道機関として、海外の視聴者に米国の民主主義的で開放的な価値観を伝え、米国のイメージを世界に広めるという役割を果たしてきた。

 拙著『なぜ日本の「正しさ」は世界に伝わらないのか:日中韓熾烈なイメージ戦』の中で、日本はじめ各国のパブリック・ディプロマシーについて詳述しているが、パブリック・ディプロマシーの産みの親である米国も、メディア戦略の中で成功と失敗の経験を繰り返してきたのだ。米国のパブリック・ディプロマシー推進の重要な手段としてVOA等の米国メディアによる国際報道が世界で評価されるためには、(1) 自国が正しく魅力的なのだという喧伝ではなく、(2) 視聴者に寄り添い、ニーズの高いコンテンツを提供し、(3) 時に自国の政策をも批判できる、客観的でバランスがとれたものであり、(4) 一方的ではなく双方向性のあるコミュニケーションを提供することが重要である。しかし、4拍子揃う報道は極めて難しい。

 その中でも特記すべきは、2001年の9.11テロ事件を契機に始まったアラビア語放送「アルフーラ」の失敗である。9.11テロ事件とその後のイラク戦争は、米国が世界からどう見えているかを再考させるきっかけとなった。そこで米国政府は、中東世界への働きかけが重要であるとの認識に立ち、アラブの人の心を勝ち取るための取り組みを企てた。中でも力が入れられたのがメディア戦略であり、その戦略の一環で、アラブ世界で人気の「アルジャジーラ」に対抗するため「アルフーラ」なるものを立ち上げ、広報作戦を展開した。しかし、アルフーラは、米国政府を批判するような報道ができず、アラブ社会において「米国のプロパガンダ」とみなされてしまい、大失敗に終わってしまった。

トランプ大統領がVOAに憤慨した理由

 そうした苦い経験を糧にして、近年、米国政府は客観的な報道を謳い文句にVOAの質を高め、評価を上げてきていた。しかし、トランプ大統領にとってそうした「客観的な」報道ぶりは決して好ましいものではなかったのだろう。

 今回、トランプ大統領がVOAの報道に嫌悪感を抱き、「中国のプロパンガンダ」に加担していると強烈に批判し始め理由は主に2つ考えられる。第一に、直接の契機でもあるが、VOAが米中の新型コロナウイルスの感染状況や死者数を比較する際、中国について中国政府の開示するデータや情報をもとにしたことだった。第二に、トランプ大統領は、米国政府の対外発信機能を強化すべしとして、パック氏の起用を考えていたが、民主党からの反発や上院による手続きが停滞するなどの障壁に遭い、強い不満を持っていた。

 1つ目については、VOAが中国武漢の閉鎖は「成功したモデル」と称し、4月8日、VOAが武漢の封鎖解除を受けたライトショーとそれを祝う武漢市民の様子を報じ、公式ツイッターでその様子を映し出した動画をアップした。また、中国のコロナウイルス感染による死者数を米国の死者数と比較するために中国共産党が開示している統計データを用いて「米国のコロナ感染による死者数は中国の公式集計より多い」と報じた。中国が開示するデータは正確性に欠けており信憑性がないとして、もともと多くの反発があったが、特にホワイトハウスはこれに憤慨したようだ。

 2つ目については、VOAによれば、トランプ大統領は以前から自身や支持者の価値観を反映し、米国の素晴らしさを世界に発信するための国営の国際ニュースネットワークを設立すべきだと考えていた。そして、2018年からトランプ大統領はパック氏をUSAGMのCEOに指名していたが、上院外交員会の指名手続きが滞っていた。

 また、トランプ大統領のVOA批判とは直接関わりはないが、昨今の米国を取り巻くメディア環境の変化も少なからず影響したといえよう。それは、中国などの権威主義国家が強化する対米世論工作やディスインフォメーション・キャンペーンである。

 例えば中国は自らの国益に資するために国際世論を味方につけようとしており、かねてより多彩な戦略にて米国世論にも働きかけている。新型コロナウイルスの感染が世界中で拡大すると、中国こそがウイルスを封じ込めたヒーローであり、世界でリーダーシップを発揮しているといった姿を強調し、米国が「武漢ウイルス」と言って中国に責任を押し付けてきたのに対しては「米国こそが発生源だ」などと反論するなど、好戦的な戦狼外交を展開するようになっている。トランプ政権は、こうした環境の変化に危機感を抱いているため、米国政府の考えを世界の聴衆に向け「適切に」宣伝できる機関を必要としていたともみられる。

 トランプ大統領の判断は、秋の米国大統領選挙を睨んでのVOA批判という、選挙戦略の一環だったとも考えられよう。現在、中国に対して厳しくあたるべしという米国国内の雰囲気があり、トランプ大統領は民主党のバイデン前副大統領を中国に「甘い」と批判してきている。大統領選挙戦の世論調査で後れを取るトランプ大統領は、中国に「甘い」姿勢を示すVOAを厳しく批判することで、「中国に厳しいトランプ」を印象付けようとした側面もあろう。

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