立花聡の「世界ビジネス見聞録」

2020年8月12日

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立花 聡 (たちばな・さとし)

エリス・コンサルティング代表・法学博士

1964年生まれ。早稲田大学理工学部卒。LIXIL(当時トステム)東京本社勤務を経て、英ロイター通信社に入社。1994年から6年間、ロイター中国・東アジア日系市場統括マネージャーとして、上海と香港に駐在。2000年ロイター退職後、エリス・コンサルティングを創設、代表兼首席コンサルタントを務め、現在に至る。法学博士、経営学修士(MBA)。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所招聘研究員。

 

 マレーシアは、コロナ禍を上手く乗り切っている49カ国ランキングの中に、なんと、台湾に次ぐ2位という好成績をたたき出している(ニッセイ基礎研究所調査)。拙稿『マレーシアの「本物ロックダウン」現場から見た日本』にも触れたように、マレーシアは過酷なロックダウンを実施し、ある程度の成功を収めた。ただ、同時に経済が大きなダメージを受けたのも事実。逆風の中、長期的視野をもって「経済を取り戻そう」としているマレーシアの実像に迫ってみたい。

(Eddie Leong/gettyimages)

シンガポールは遠隔医療先進国である

 日本ではあまり話題になっていないが、マレーシアはコロナ禍を逆手に取って、遠隔医療分野の先駆けである隣国シンガポールを猛追しようとしている。

 まず、シンガポールをみてみよう。シンガポールは日本に負けないくらい医療環境がよく、医療レベルも高い医療先進国である。WHOが公表した医療制度世界ランキングでは、シンガポールが常に上位を占めてきた。特にコロナ禍の期間中に注目されているのは何といっても「遠隔医療」である。

 マレーシア現地の華字紙「南洋商報」(8月1日付)はこのような事例(シンガポール)を紹介した。

 「(2020年)2月のある日、28歳のシンガポール人ビジネスマン陳さんは風邪症状が出た。彼自身はあくまでも一般の風邪であり、薬をもらって休めば治ると判断した。コロナ感染の懸念もあって病院に出向くのを躊躇った彼は、『Doctor World』という遠隔診療プラットフォームを利用することにした。オンライン診察は10分程度で終わり、処方された薬は2時間後に自宅まで配達された。診察料と薬代、配送料を合わせて合計36シンガポールドル(約2800円)だった」

 「Doctor World」はあくまでも1つの選択肢に過ぎない。シンガポールでは、複数の遠隔医療事業者が運営しており、「南洋商報」の記事によれば、プラットフォームの「Doctor Anywhere」のユーザー数は、今年前半のコロナ期間中に倍増したという。

 シンガポールの隣国マレーシアの場合、その医療レベルもかなり高い。しかもシンガポールと比べて医療費が安価であるため、インドネシアの富裕層をはじめとする大勢の外国人が治療を受けにマレーシアを訪れている。インバウンド産業としてマレーシアのメディカル・ツーリズムが発達し、世界の上位を占めている。しかし、コロナ禍によって海外来訪者が一気に減り、病院の経営も厳しくなった。新たな打開策を講じようと、マレーシアはコロナ不況を逆手に取り遠隔医療に目をつけた。

 活動制限令(MCO、ロックダウン)が実施された後、多くの市民は自由に外出できなくなり、通院もウイルス感染の懸念から敬遠されたため、遠隔診療のニーズが高まった。マレーシア国内でも、オンライン相談やオンライン診察といったサービスの新規アカウント登録が急増し、遠隔診療の利用率が大幅にアップした。

 「非接触型経済」、コロナ禍を逆手に取るマレーシア

 「非接触型経済」。――ロックダウンに突入したマレーシアでは、よく耳にする言葉である。デジタル医療の一環として、遠隔診療はネット通販やテレワークと並んで、「非接触型経済」の主流になりつつある。

 「Doctor2u」はマレーシア発の遠隔診療プラットフォームである。私の周りにも日常的に使っている人が多い。風邪などの日常的病気のオンライン相談・診察をはじめ、シンガポール同様の薬や医療用品のネット販売・配達も行われている。登録された2000人以上の医師リストから好きな医師を選べる「ドクター指名システム」が面白い。FaceTimeによるオンライン診察もできれば、都市部なら1時間以内にドクターが自宅に駆けつける往診も追加料金で利用可能である。

 「Doctor2U」をはじめ、複数業者による在宅コロナ検査も早い段階で始まった。誰でもお金さえ払えば自由に検査を受けられる。発熱で自宅待機する必要はない。診断結果はオンライン形式で知らされる。費用はデリバリー込みで、1人700リンギット(約1万8000円、ドライブスルーならその半額程度)、大家族や会社向けにはグループ割引もある。

 遠隔医療といえば、最大のメリットはやはり、時間や空間の制限を受けずに自宅にいながらできることだ。その分、患者側だけでなく、医療機関側のコスト削減にもなり、医療資源活用の最大化につながる。同時に院内感染を避けるにも有効だ。特にコロナ期間中にその優越性が際立った。

 医師側(特に開業医)にとってみれば、予約患者診察以外の空き時間の有効利用にもなり、収入増につながる。さらに、農村部や遠隔地など医療資源の相対的乏しい地域の格差解消にも役に立っている。

 通信技術やヘルスケアを専門とする研究機関グランドビュー・リサーチ(Grand View Research)が2020年4月に発表したレポートによると、世界の遠隔医療市場は15.1%の年平均成長率で換算し、2027年までに1551億ドルの規模に達するという。非常に有望な成長分野である。

 マレーシアはある程度の基盤が有しながらも、先進国であるシンガポールと比べて遠隔医療分野で立ち遅れていることを自覚し、キャッチアップの姿勢を見せている。

 マレーシアの遠隔医療は歴史が浅く、法整備も行政管理の体制も十分に整っているとはいえない。法的には、コモン・ローの下で法律によって禁止されていなければ、すなわち許可されるものだという法曹界の認識がある。そうしたなかで、試行錯誤を繰り返しながらも、一方的に既成事実が積み上げられてきた。マレーシア弁護士協会の発表によれば、これまでに、遠隔医療にかかわる医療紛争事件はまだ確認されていないという。

 とはいえ、法令の整備は欠かせない。政府はすでに、「オンライン医療保健サービス法(OHS)」の立法をはじめ、現行法条文の改正を含めてバーチャル診療所等新興衛生保健サービスをサポートする法令の整備に取り組んでいる。運用面では、適格患者はマレーシア国民の成人で、オンライン診察を受けるにあたって、同意書への署名も求められるなど様々な提案があり、検討が進んでいる。

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