WEDGE REPORT

2020年10月6日

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 8月3日、管弦楽と合唱による荘厳なハーモニーが東京オペラシティコンサートホールに響き渡った。演奏されたのはバッハの最高傑作と称される「マタイ受難曲」。今年30周年を迎え、バッハがその楽曲を生んだ時代の古楽器や奏法を用いる演奏団体「バッハ・コレギウム・ジャパン(以下、BCJ)」は、コロナ禍で初めて、オーケストラと歌唱が入った有観客公演を成功させた。本公演は、本来4月に予定されていたが、新型コロナウイルス感染拡大防止を理由に延期を余儀なくされた。

8月3日開催のBCJ公演では演奏者間を離し、前後をアクリル板で仕切った (RIKIMARU HOTTA)

 「音楽とは本来、不安や緊張を感じている人に癒しを与えるもの。コロナ禍だからこそ、我々の演奏を必要としている人へ届けたかった」

 BCJ副社長で、首席指揮者の鈴木優人氏は、開催への思いをこう振り返る。同氏は自ら感染症の専門家らにコンタクトを取り、公演実施に向けた指示を仰ぎながらも、不安な気持ちは常にぬぐえなかったという。

 「どんなに対策を講じても、感染リスクをゼロにすることはできない。公演を実施する我々主催者と、当日会場で演奏する出演者、そして足を運んでくれる観客、この3者それぞれにリスクがあることを同意してもらう必要があった」(鈴木氏)

 出演者の感染リスクを減らすため、休憩時に互いの距離を保てるよう、控室の広い会場へと変更した。また、観客に対しても、リハーサル会場でのマスク着用や手指消毒を義務付け、席間の距離を保つため、市松模様の配置とした。入場者数も全1600席のうちの半分ほどに制限したため、もともと4月の時点で予約していた観客が来場できるよう、全日程で昼夜2回公演とした。

 今回の公演での新型コロナ対策を通じて、新たな発見もあった。以前は、従来の伝統を引き継ぎ、楽器演奏の後ろに合唱が並んでいた。今回の公演では演奏者へ飛沫が飛散することを防ぐために位置を入れ替え、合唱を最前列に据えたところ、声が主体の同楽曲と非常に相性が良く、音楽的にも納得がいくものになったという。

 今後の課題について、鈴木氏は「公演を継続して実施していく中で、いかに過剰な対策を減らし、感染防止と収益確保を両立していくかが重要だ」と語った。

 それだけではない。

 演奏者などの間で距離を空けることは感染リスク低下につながるが、距離が開けばアンサンブルが乱れ、席間を離すことでチケット収入は減る。この課題を解決すべく亀田総合病院(千葉県鴨川市)集中治療科部長の林淑朗医師は、NHK交響楽団に所属する友人の呼びかけに応じ、感染症の専門家4人および微粒子測定の専門家1人とプロジェクトチームを結成。観客や出演者の距離が感染リスク低下に及ぼす実験を行った。実験では、大気中の微粒子を排除したクリーンルーム内で、客席での鑑賞時の咳・発声、また、フルートやホルンなど、12種類の楽器演奏時に発生・飛散する飛沫などの微粒子を計測した。

 「我々は音楽の価値を共有しているからこそ、協力できる。その価値を生み出す演奏家たちがやると決めたなら、専門家としてリスクを最小化する手助けをしたいと思った」(林医師)

 実験の結果、「楽器演奏やマスク着用下の客席では飛沫の飛散は狭い範囲に限定され、従来の距離と、ソーシャルディスタンスを取った距離では感染リスクはほとんど変わらない」ことが分かった。林医師は「この報告書を、すでに業界団体を通じて関係省庁に提出し、ガイドラインの見直しが行われている。事業者が活動を再開するための新たな基準となれば」と語る。

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