2024年4月20日(土)

WEDGE REPORT

2020年11月13日

<冷静な日本留学派>と<憎しみの小説家>
両国関係に役に立つのはどっち?

 「極熊」というペンネームでこの記事を書いたのは、東亜日報社の雑誌「新東亜」の部長を務めた崔承萬(チェ・スンマン:1897~1984)だ。彼は1917年東京外国語学校に入学し、1919年には東京の朝鮮人留学生たちが起こした抗日運動「2・8独立宣言」を主導し逮捕されたこともある人物で、1934年朝鮮に戻って入社した東亜日報では、1936年ベルリン五輪のマラソンに日本代表として出場し金メダルを獲得した朝鮮人選手孫基禎の写真記事から日の丸を消した「日章旗抹消事件」で拘束された経歴の人物だ。

 一言でいうと日本の支配に対して反感を持っていた民族意識の強い人だ。韓国の有名小説家趙氏は 「日本留学者は親日派で、民族反逆者」と言ったが、崔承萬はそれとは逆の性向の人だった。

 私が崔承萬の記事を読んで感心したことが二つある。それが彼の記事を紹介したいと思った理由でもある。一つは、彼が日本と日本生活についての愛情を率直表現している点だ。現在、韓国の有名人の中にこれほどまで日本生活への愛情を公の場で語ることができる人はいない。自己規制によって日本に対する率直な感情を語れない空気になっているからだ。有名人が抗日記念日に日本旅行に行ったり、日本料理を紹介しただけでも公開謝罪と懺悔を余儀なくされるのが今の韓国だ。

 崔承萬は誰よりも日本に対する反感が強かった人だが、東京時代の素朴な幸せについては率直に自分の気持ちを表現している。自分の気持ちを率直に表現できないのはストレスが溜まることだ。その点で見れば、私には愛情を込めて日本の思い出を語る1930年代の知識人の方が、日本旅行と日本のゲームを隠れて楽しむ現代の韓国人よりストレスが少ないように見える。

 私が感心したもう一つの点は、彼が朝鮮人の問題点を赤裸々に指摘している点だ。東京のど真ん中で命をかけて抗日運動(2・8独立宣言)をするほどの勇気を持っていた彼だが、朝鮮人に部屋を貸さないことを単に「差別」と反発し、怒るのではなく、家賃を払わなかったり、不潔に使用することが「大きな原因」だと朝鮮人の問題点を厳しく指摘している。冷静な自己反省なく差別を受けたことだけを取り上げる姿ばかりを見てきた私としては、彼の勇気ある叱咤はまるで違う国の人が語っているかのように感じられる。そして最後の自分が朝鮮の代表だと考え、薄氷の上を歩くかのよう注意深く過ごしたというくだりからは、人一倍の強い責任感とプライドさえ伝わってくる。

 何か問題がある時、すべてを他人のせいだと結論づけるのは簡単なことだ。しかし、そのような責任回避と言い訳は自己反省と改善のチャンスをなくしてしまう。問題があるのは問題だと冷静に指摘した崔承萬氏のような「日本留学派」の方が、日本と日本留学派に対する憎しみを延々と持ち続ける小説家よりずっと両国関係に役に立つのではないかと私は思う。

  
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