田部康喜のTV読本

2021年3月27日

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田部康喜 (たべ・こうき)

コラムニスト

福島県会津若松市生まれ。幼少時代から大学卒業まで、仙台市で暮らす。朝日新聞記者、朝日ジャーナル編集部員、論説委員などを経て、ソフトバンク広報室長に就任。社内ベンチャーで電子配信会社を設立、取締役会長。2012年春に独立、シンクタンク代表。2015年10月から東日本国際大学客員教授として地域振興政策を研究、同大・地域振興戦略研究所副所長を兼務。

東日本大震災直後の福島第一原発(ロイター/アフロ)

 ETV「原発事故 “最悪のシナリオ”~そのとき誰が命を懸けるのか~」(3月6日)は、東日本大震災による、東京電力福島第1原子力発電所(1F)のメルトダウンの連鎖の大事故において、危機管理の要諦である“最悪のシナリオ”想定した、大局的な視点に立って、政府ことに官邸や東京電力、防衛省、自衛隊などが動いたかどうか。

 検証ノンフィクションの傑作である。東日本大震災から10年を迎えて、日本の危機管理体制は当時と変わったのだろうか。残念ながら、番組の答えは否である。(カッコ内の肩書はいずれも当時、敬称略)

 政府の一部が検討した“最悪のシナリオ”は、メルトダウンの事故後の1年後に情報公開請求によって明らかになっている。取材チームは、これに加えて日本政府、米軍、自衛隊、東電がそれぞれ描いていた“最悪のシナリオ”の資料も入手した。

 細野豪志(首相補佐官)は、「私が得た極秘情報のなかで、このシナリオだけは当時公開することはできなかった」という。シナリオがまとまったのは、2011年3月25日のことである。近藤駿介(原子力委員長)ら科学者が作成にかかわった。

 “最悪のシナリオ”とはなにか。1Fのメルトダウンが連鎖すると仮定すると、福島第2原子力発電所(2F)に影響が及び、高濃度の放射能が拡散して、1Fと2Fから東電の保守要員が撤退、すなわち両発電所を放棄する。1Fを中心とする半径80キロ以内の住民は、避難する。

 危機管理は“最悪のシナリオ”を策定して、それに必要な施策を考えていく。玄葉光一郎(国家戦略相)は、原発事故直後に“最悪のシナリオ”の策定を菅直人(首相)に提言した。「危機管理というのは、常に最悪の事態を想定するのは鉄則ではないかと考えた。専門家がないと言っていた、原発の水素爆発はあるし、電源車が現地に行ったら大丈夫だと聞いたが、接続部分が異なってつながらない。どの時点で、どの範囲を知らなければならないのか。

 菅(首相)は、玄葉の提案を退けた。「“最悪のシナリオ”作りは採用しなかった。最初に考えたのは、天皇陛下と歳を取った母のことだった。例えば、東京までも高い濃度の放射能が迫ってきたときは、避難を考えなければいけなくなる。その時には、天皇陛下に移っていただき、母も親類の家に行ってもらわなければならない。うかつに言葉に出すと、パニックを起こす可能性がある。下手をしたら何千万人のひとが避難する、想定した法整備は一切できていないと認識していました」と、振り返る。

 廣中雅之(自衛隊・統合幕僚監部運用部長)は、原発事故発生当初から自衛隊を現地に送り込んで、電源確保や注水作業などに当たらせていたが、事故の全体像と情報がほとんど入ってこないことに不安を募らせていた。運用部長とは旧日本軍においては、大本営作戦部長と同様の地位にあり、すべての作戦のオペレーションを担っていた。

 しかも、原発事故に派遣した隊員の一連の活動は、防災計画に定められていない任務だった。実際の事故が起きた。1Fの3号機の水素爆発によって、隊員が重傷を負った。爆発の可能性については、事前に知らされていなかった。無駄死にさせないために、隊員の派遣は一時停止した。

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