2024年4月27日(土)

教養としての中東情勢

2021年11月18日

 ベイルートのアナリストは「仮に暗殺未遂事件を引き起こしたのがカタイブ・ヒズボラだとしても、暗殺までは意図していなかったろう。イランがそこまでは望んでいないと思われるからだ。10月のイラク総選挙で親イラン派は大敗北したが、そうした政治状況の中で、イランを排除するような政権を作らないよう警告したのではないか」と指摘する。

イラン支配の実態

 独裁者サダム・フセインが君臨していた頃のイラクはイランとの戦争に踏み切ったほど敵対していたが、2003年の米軍のイラク侵攻後、急速にイランの影響下に置かれるようになった。その理由の一つは米軍を追い出すために、イランがイラクに「カタイブ・ヒズボラ」に代表されるシーア派武装組織を次々に作り、軍事的支配を強化したからだ。

 第二に、イスラム教スンニ派で固めたフセイン政権が崩壊し、シーア派が実権を掌握したことだ。イランは少数派であるシーア派の総本山であり、イラクのシーア派に対する影響力は強まった。第三に、経済的なつながりの強化である。イラクはインフラの弱体化で、電力の一部をイランから購入しているだけではなく、店頭にはイラン商品があふれている。

 イランの大戦略は、イラク、シリア、レバノンという地中海までをつなぐ「シーア派回廊」に確固たる影響力を確立することだ。その中でイラクは重要な位置を占めており、軍事的支配に続いて政治的にもイランの存在感を根付かせる必要があった。このため武装組織の政治化を進め、18年の総選挙では親イラン系の「征服連合」を議会の第2勢力に躍進させた。

〝利権政治〟への決別という衝撃

 だが、今回の選挙では、「征服連合」は50近くあった議席を3分の2も減らし大敗北した。一方で、74議席を獲得した反米民族派のサドル師派が第1党を維持した。「選挙を盗まれた」とする親イラン派は選挙後から反政府デモを展開、治安部隊との衝突で死傷者が出る騒ぎにまでなっていた。

 シーア派の指導者でもあるサドル師はかつて米軍と戦った「マハディ軍団」を率い、「イラクはイラク人民だけのもの」というのが持論の愛国・民族主義論者だ。米国だけではなく、イランなど外国の支配への反対を掲げている。現地からの報道などによると、サドル師は選挙後、過去の〝挙国一致政府〟に反対、与野党が対決する多数派政権を発足させ「成功も失敗も政府が責任を取らなければならない」と無責任体制の一掃を表明した。

 イラクはこれまで、いわば選挙の得票に応じて権力や予算を配分してきた「利権政治」。それが石油大国でありながら、イラン支配に甘んじ、経済的に発展できないでいる原因、と指摘されてきた。サドル師の発言はそうした「利権政治との決別」を明確にしたもので、「〝なあなあ〟でやってきた既存の勢力にとっては衝撃だった」(ベイルートのアナリスト)。


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