子育て環境を支える
重要な二つの認識
フランスでは、充実した社会保障を維持するための国民負担は小さくはない。しかしその徴収のあり方は、軽減税率や控除を駆使し、経済状況の異なる人々がそれぞれの範囲で担えるように設計されているのだ。
この国民負担の大きさはフランスで常に議論されているものの、その一角で子育て支援を厚く充実させることに関して、強い異論が上がることはほとんどない。単身者や子どものいないカップル世帯は年々増え、同性婚が13年に法制化されてからは、結婚が子どもを持つ前提条件ではなくなった。個人として子を持たない選択をする人は少なくないが、それでも「子どもは社会で育てるもの」との社会的合意は固く、揺るがない。
この社会的合意は、どのように存在しうるのか。筆者は今年、家族手当金庫の経済学者にインタビューした際、それを尋ねたことがある。答えとして返ってきたのは、フランスでは一般的な二つの価値観だった。
「子どもは社会にとって大切な存在」。そして「子育ては親だけではできないほど、大変なこと」。
一つ目は、子育て支援の拡充に関する言説で、頻繁に目にするものだ。子どもは成長すれば、有権者そして納税者として、フランス社会を担う大人になる。大規模な社会保障システムを継続的に支えるには、子どもが大人になる世代更新が不可欠だ。
二つ目は、社会参画する市民として子どもを育て上げるための発達心理学や教育学の発展と、子持ち世帯の共働き率の上昇とともに、1990年代から危機感を持って訴えられ広まった認識である。子どもの認知・非認知能力の成長には大人が寄り添った上での教育が不可欠だが、そこには知識や専門性が必要であり、親のみでは到底担いきれない。また子どもの成長過程では近しい大人との愛着形成が重要な鍵を握るが、その担い手は必ずしも親でなくともよいことが、研究によって明らかになった。ならば子育ての責任を親にだけ押し付けるより、社会で分かち合った方がいい──。
「子どもは社会で育てるもの」というフランスの合意は、親の子育て能力を全面的に信用しない科学的な根拠と、合理的な思考によって形成されてきたのだ。
昨年からのコロナ禍では、そのフランスの子育て観が、良くも悪くも実感できることがあった。ロックダウンで一斉休校となり、それまで社会で分かち合っていた子育てが家庭の密室に閉じ込められた結果、児童虐待や配偶者間のドメスティックバイオレンス(DV)が急増したのだ。そこで政府は虐待通報を推進するメディアキャンペーンを起こすとともに、DV加害者への注意喚起や電話相談を強化する方策をとった。社会とのつながりが阻害され支援・介入が難しい状況では、家庭内で加害の芽を少しでも減らすことが肝要、との判断だった。
一斉休校中はその他にも、エッセンシャルワーカーの子どもだけは登校・保育を可能にするなどの対策もあった。今年の春から本格化した新型コロナワクチンの先行接種では、日本のように医療従事者のみを対象とせず、介護士や保育士、ベビーシッターにも接種を推進している。