2022年12月5日(月)

近現代史ブックレビュー

2022年1月17日

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筒井清忠 (つつい・きよただ)

帝京大学文学部長

1948年大分市生まれ。帝京大学文学部長・大学院文学研究科長。東京財団政策研究所上席研究員。専門は日本近現代史、歴史社会学。『昭和十年代の陸軍と政治』(岩波書店)、『二・二六事件と青年将校』(吉川弘文館)など著書多数。

日米開戦論研究の水準をまとめた優れた論攷

 次が森山論考である。

 森山が明らかにしていることを明示していくと次のようになる。

①米国が開戦前日本の暗号を読んでいたことばかりが言われることが多いが、日米はともに相手の暗号を読んでおり、解読能力は互角だった。

②しかし、不幸なことに米国が暗号解読で得た情報には思いこみを増幅する材料として機能するなど対日イメージを損ねる重要なミスが多かった。

③1941年6月の独ソ開戦後、ドイツは日本に対ソ参戦を慫慂、それに対して日本の駐米大使館あて電報は、対ソ参戦を断るために南方への圧力を強化して枢軸国の勝利に貢献しているとしたり、南部仏印進駐の意義を主張するなどしていた。米国のスティムソン陸軍長官はこの美辞麗句を以て、日本は対米交渉を口で唱えながらドイツと結託していると思いこんだ。

④日本は、南部仏印進駐は南進の基地獲得ではなく英領マレーや蘭印との衝突を避けるためとする本音の電報を駐米野村大使に送っていたが、米国の翻訳官はこれを削除してしまったためスティムソン陸軍長官らの目には入らなかった。

⑤強硬策の出た「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」の翻訳には1か月以上かかり、近衛首相の起死回生の提案・近衛ルーズベルト会談提案の直後となったため、米国(スティムソン陸軍長官)は日本の二枚舌外交を確信し、近衛ルーズベルト会談流産の原因の一つとなった。

⑥このように政策担当者がナマ情報(インフォメーション)に接するのは極めて危険であり、インフォメーションは文化的背景を理解した専門家が評価して初めて有効なインテリジェンスとなるのである。

⑦11月1日の大本営政府連絡会議で、1臥薪嘗胆、2即時開戦決意、3外交交渉が成立しなければ開戦、の三つの選択肢が用意され「3」が選ばれた。

⑧永野軍令部総長は、(7月に天皇から「捨てばちの戦」と言われた)精神力とドイツ頼みの説明をしていたのだが、11月5日の御前会議では戦争以外の選択肢では明るい未来を描けなかったため永野に異を唱える者はいなくなった。

⑨それは、ドイツの勝利もしくは不敗、南方を占領してその資源を日本に輸送して戦力を培養するという説明で、そうした長期戦のために必要な船舶の損耗量は低く見積もられ帳尻を合わせていた。

⑩「1」の臥薪嘗胆論では1年半後の石油の枯渇により軍は動けなくなりその時米国から攻撃されたらひとたまりもないと統帥部は主張した(ジリ貧論)。それに対し東郷茂徳外相と賀屋興宣蔵相が、米国が攻めて来る公算に疑念を呈したが、これには鈴木貞一企画院総裁が開戦による物資的好転という希望的観測を説き対立した。

⑪ここで東郷外相が新たな解決案を提示したがそれは危険なものだった。交渉の最大の障害は中国からの撤兵問題だったが、東郷は撤退した方が経済的にも好転すると主張して賛成を得られず、中国撤兵に関する非常に窮屈な日本側条件(甲案)が成立し、むしろ妥結は遠のいた。

⑫挽回のため東郷は乙案(南部仏印から撤兵するかわり米国は日本に物資を供給する)を用意、陸軍の抵抗を排除してこれを通した。

⑬しかし、交渉が失敗しても戦争をしなければならないわけではなく臥薪嘗胆でもいいはずなのだが、陸軍が乙案を容認した結果、結果的には流れは避決定から決定へと大きくシフトしてしまった。

⑭吾々は外交(平和)か戦争かという対立軸で考えがちだが、両者はともに希望的観測を根拠とした決定の側に属しており、真の対立軸は臥薪嘗胆(避決定)か外交・戦争(決定)かだったのである。

⑮ハル国務長官は、危機回避のため暫定協定案を考えており、これが単独で提案されていれば乙案との接点による妥協の可能性もあったが、非妥協的な原則論(ハルノート)との一緒の提案を考えた上、中国の反対等があり結局ハルノートのみを日本に渡すことになった。

⑯国論が一致すると喜んだのは、日本の参謀本部の強硬派であった。ハルノートでは日本が軍事行動を起こす結果となることを米国は承知していたが、中途半端な妥協より正義を後世に残すことを証明する段階へと米国は移行していたのである。

⑰日本の指導者に欠けていたのは非難を浴びながらも臥薪嘗胆という茨の道を行き通す身を切る責任感と胆力であった。

 以上がこの重要な論考の要旨である。なかなかわかりにくいところ(「決定」は「決断」とした方が読者にはわかりやすいかもしれない)や、なお議論の余地のある個所もあるが、今日の日米開戦論研究の水準をまとめたものとして本稿の価値は極めて高いと言って間違いないであろう。

 そして、この論考で唯一強く推されている新しい研究成果が牧野氏の本書なのである。本書と森山論考を読んでおけば日米開戦論研究の現在の水準はマスターできると言ってよいであろう。関心のある読者の味読を勧めたい。

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人類×テックの未来  テクノロジーの新潮流 変革のチャンスをつかめ
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1-1 メタバースの登場は必然だった
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  column 1   次なる技術を作るのはGAFAではない ケヴィン・ケリー(『WIRED』誌創刊編集長)
1-2 脱・中央制御型 〝群れ〟をつくるロボット 編集部
1-3 「限界」を超えよう IOWNでつくる未来の世界 編集部
  column 2   未来を見定めるための「SFプロトタイピング」  ブライアン・デイビッド・ジョンソン(フューチャリスト) 
part2   キラリと光る日本の技  
2-1 日本の文化を未来につなぐ 人のチカラと技術のチカラ 堀川晃菜(サイエンスライター/科学コミュニケーター)
2-2 日本発の先端技術 バケツ1杯の水から棲む魚が分かる! 詫摩雅子(科学ライター)
2-3 魚の養殖×ゲノム編集の可能性 食料問題解決を目指す 松永和紀(科学ジャーナリスト)
part3   コミュニケーションが生み出す力  
天才たちの雑談
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加藤真平(東京大学大学院情報理工学系研究科 准教授)
瀧口友里奈(経済キャスター/東京大学工学部アドバイザリーボード・メンバー)
合田圭介(東京大学大学院理学系研究科 教授)
暦本純一(東京大学大学院情報学環 教授)
  column 3   新規ビジネスの創出にも直結 SF思考の差が国力の差になる  
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part4   宇宙からの視座  
毛利衛氏 未来を語る──テクノロジーの活用と人類の繁栄 毛利 衛(宇宙飛行士)

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テクノロジーの新潮流 変革のチャンスをつかめ
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