海軍大臣からの回答は得られず
これまで、山本の当日の発言内容について、このいずれが史実に近いのかは明瞭ではなかったが、同盟締結決定に際して、連合艦隊司令長官だった山本が柱島から上京し、帰隊して後に話した内容が保科善四郎(海兵41期・当時戦艦「陸奥」艦長、終戦時の海軍省軍務局長、戦後は衆議院議員)によってメモされていた。筆者が調査したところでは、防衛省防衛研究所に所蔵されている史料「保科善四郎ノート」中の、「山本GF長官より(一五-九-二六)」と題する備忘記録がそれである。山本はこの保科への談話中、「今回の如き同盟締結の前提としては」という項目で以下の問題を挙げている。【筆者注:読みやすさを考えて、一部句読点を補い、新漢字のあるものは、おおむねその表記を用いた。以下の引用文についても同様】
「a. 重油は何処よりとるや(之には成案なし―蘭印を全部合しても一〇〇万トン、樺太は全力を尽くして八〇万トン)
b. 鉄は何処より入るや
c. Soviet-Russiaと手を握ること
d.海軍としては新軍備充実に必要なる機材の確保を必要とす(現物動計画の八割を海軍に入れざれば到底計画の遂行は出来ず)」
次に、この史料中で、上記の海軍首脳部会議において山本が発言した内容を掲記してみよう。
「大角【筆者注:岑生(みねお)】大将は大臣の説明の後に、他の意見をも聞かず、立って、長老として状況止むなし、大いにやれとの激励的賛成の意を表す(陰で相談の上なるべし)」
「山本長官立って質問す(不満の意を含めて)
a. 戦備の状況如何
―重油、鉄其他必要軍需に関する見通し及準備、取得の状況
b.飛行機の準備(第一線に使い得る飛行機1000キ位は最小限必要なるのみならず中攻等は其のImproved typeも要す)
c. 艦隊を戦の出来るように準備すること。
結局満足なる回答を得ず―準備はふれなきなり」
これを見ると、阿川著にあるように、山本は三国同盟締結後の見通しを及川に尋ねることによって、同盟締結決定方針への強い不満を会合出席者一同に明らかにしたことは、ほぼ確実と考えられる。
「同盟は米国に対する無言の宣戦布告」
さて海軍上層部は、当時の外務大臣であった松岡洋右による「対米牽制のための同盟」という条約の主旨説明に同意して同盟締結への賛意表明に至ったのだが、これ以降の海軍の部内史料を概観すると、山本による「対米戦争の危険の切迫」の予感は海軍部内で相当に広まっており、戦争突入は必至の情勢である、と考える者が急速に増加していた模様である。ここでは、「リベラルな政治姿勢の海軍軍人」として戦後知られた2人の人物の例を挙げたい。
一つは、戦艦「陸奥」艦長として山本の談話をメモした保科善四郎による「昭和十五年九月二十八日 三国同盟締結に付訓示」である。