2024年11月22日(金)

ザ・ジャパニーズ3.0(昭和、平成、令和) ~今の日本人に必要なアップデート~

2022年12月26日

戦争への感度が低い日本人

 かかる状況の理由の一つは、日本人の戦争に対する感度が、歴史的に見てずっと低かったことが挙げられる。日本は島国であり、古代に遡っても外部から侵略・支配をされた経験がない稀有な国である。鎌倉時代の元寇と、江戸時代末期の黒船が唯一の外来の危機であるが、それぞれ神風と明治維新による国内改革で乗り切ったのは歴史で学んだ通りである。

 一方、世界に目を向けると、第二次世界大戦後も常にどこかで戦争や紛争が起きている。冒頭のサッカーの話題で、1993年の「ドーハの悲劇」に言及したのでその辺りのイベントを挙げると、1989年にベルリンの壁が崩壊してソ連・東欧の社会主義政権が次々崩壊した。1990年のワールドカップ・イタリア大会には、後に日本代表の監督を務めたイビチャ・オシムが率いるユーゴスラビアが出場し、エースであるドラガン・ストイコビッチ(元名古屋グランパス、現セルビア代表監督)の活躍でベスト8まで進出した(ベスト4でマラドーナ率いるアルゼンチンに延長PKで敗退)。

 そのユーゴスラビアは、W杯大会中にコソボが分離独立を宣言したのをきっかけに内戦状態となり、国家が崩壊。クロアチアはセルビアと4年にわたる戦争の後に独立した経緯を持つ。そしてW杯直後の8月にはイラクがクウェートに侵攻して湾岸戦争が始まるなどなど、平成という時代が始まり、Jリーグがスタートしたばかりの日本からは、およそ想像できない事象が世界のあちこちで起きていたのだ。日本は、ミサイルの誤射を受けることも難民が流入してくることもない地理的環境にあって、日本人の戦争への感度が高くならなかったことはやむを得ないし、むしろ幸せなことであったと言える。

 二つ目の理由は、日本人にとっての戦争観がずっと片翼であるためである。日本人の戦争観のベースは、言うまでもなく第二次世界大戦の敗戦である。戦後に制定された日本国憲法では、第9条において、国際平和の誠実なる希求、並びに国際紛争を解決する手段として戦争と武力行使の永久放棄が謳われている。憲法9条に関しては、小学校の頃から教えられるので、「恒久平和を求め二度と加害者の側には立ちません」という戦争観が日本人の根底にできていると思う。

 一方、東京大空襲や広島・長崎の原爆など日本本土への攻撃や、満州からの引揚者に対する虐殺で大量の犠牲者を出したが、被害者やその家族たちの無念の思いは救済されているのであろうか? 私は戦後20年が経って生まれた、いわゆる「戦争を知らない子供」であるので、戦争を直接語ることはできないが、両親や祖父母及びその世代の人々から聞かされる話は、「守ってあげられなかった」「助けられなかった」と言う自責の悔恨の言葉に溢れている。憲法9条の議論で加害者の側に立たないことが強調されるほど、無謀な戦争を企てた加害者ゆえに報いを受けたという、自虐的戦争観も同時に醸成されてしまっていると思う。

 このような自虐性の裏側には、国民を勝ち目のない戦争に駆り立てたばかりではなく、国民を守るどころか、国体の勝利のために神風特攻や人間魚雷など、国民の犠牲を前提としていた国(当時の軍)への怒りも存在していると思う。その怒りに対して国は、「劣勢が明らかになる中で、被害を最小限に抑えるような米国とのコミュニケーションはどうすべきであったのか」、「どのような方策で国民を守るべきであったのか」、という観点での戦争の総括ができていない。したがって、日本人の戦後の戦争観が「加害者の側に決して立たない」という前提のみで形成されており、被害者にならないための対策や戦略に関してはすっぽり抜けた状態が続いているのである。

 第三の理由は、バブル以降の不況において、経済再生を優先せざるを得なかったが故の内向き指向であろう。第二次対戦後は、世界が自由主義と共産主義のイデオロギー戦争に突入していくのであるが、日米安全保障条約の締結を巡って、大規模な反政府の流れが出たのは国民を戦争に駆り立てて、その挙句に守り切らなかったことへの怒りと不信に由来すると思う。しかし、高度成長の果実としての中間層の成長が著しく、市民イコール搾取される弱き存在として国に対峙するという図式が壊れたことは、日本にとって重要なことであった。

 すなわち、日本に共産主義革命は起こらず、米国による安全保障の下で経済再建に注力できたのである。その後、日本経済は製造業を中心に成長を続け、自動車・家電に至ってはジャパン・アズ・ナンバーワンとして世界市場を席巻した。そしてバブル崩壊とその後の30年以上にわたる平成不況に突入する訳であるが、昭和の好況時も平成以降の不況時も、われわれの関心事は常に経済であった。そしてやむを得ないことではあるが、そのことで視線が内向きになり、安全保障・防衛に関しては、米国の安全保障と平和憲法を頼みにして、思考がずっと止まってきたのである。


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