一般教書演説は大統領のスタンスを示すだけでなく、二大政党のパフォーマンスの場、自分たちの支持基盤に訴えかけるための場にもなっている。2020年に共和党のドナルド・トランプ大統領が行った一般教書演説は、大統領選挙における再選を目指して、国民一般というよりも自らの岩盤支持層に訴えかけようとするものだった。当時は、トランプが演説を行った後に、民主党のナンシー・ペロシ下院議長がその原稿を破り捨てたことも話題となった。
また、1966年以降、大統領の所属政党とは異なる政党は反対演説を行うようになった。反対演説を行うのは、党が数年後には大統領候補として育てたいと考えている若手有力政治家であることが多い。
例えば、2013年には共和党のマルコ・ルビオが、20年には民主党のグレッチェン・ホイットマーが反対演説を行ったが、ルビオは16年の大統領候補として、ホイットマーは20年の副大統領候補、そして今後の大統領候補として期待されている人物だ。ただ、ルビオが演説中にペットボトルで水を飲んだ姿が「大統領にふさわしく見えない」とされて評価が下がったように、この機会を有効に活用することができるか否かはその人物次第である。
官庁や利益団体も内容に注目
このように記すと、一般教書演説は壮大な見世物、エンターテインメントであるかのように聞こえるかもしれない。実際、ヨーロッパで第二次世界大戦が戦われていた1941年1月6日にフランクリン・ローズヴェルト大統領が行った「4つの自由」に関する演説のような名演説が行われたこともある。だが、そのようなものは例外に属する。
大統領はもちろん国民へのアピールを念頭に置いて話をするが、これだけの注目を集める場は他にはあまりないこともあり、さまざまな官庁も各種利益集団も、自分たちが考えるアジェンダについて大統領が言及するよう積極的な働きかけを行う。それらをどのように原稿内に落とし込むかはスピーチライターの腕次第ではあるが、一般教書演説は概して総花的に、さまざまな提案を羅列するものになりがちなのだ。
このような限界があるとはいえ、大統領の政治的スタンスが示される一般教書演説は言うまでもなく重要性を持っている。拒否権を持つ大統領が示す政治的立場は、議会の法案作成や審議の在り方に影響を及ぼす可能性も高い。一般教書演説に注目が集まるのは当然だといえるだろう。