2024年12月9日(月)

新しい原点回帰

2023年7月15日

 日本における「酪農」発祥の地はどこか、ご存じだろうか。酪農王国北海道で本格的に始まるはるか昔。江戸時代の享保13年(1728年)、インド原産といわれる白牛3頭を、幕府直轄の牧場で飼い、「白牛酪」という乳製品を作らせたとされる。それが現在の千葉・房総で、「日本酪農発祥の地」を謳っている。

須藤健太(Kenta Sudo)須藤牧場 常務 1993年生まれ。高校卒業後、北海道の農業専門学校で学び、実家である須藤牧場に就農。現在、須藤牧場の4代目として常務を務める(写真右。左は、3代目で父の裕紀さん)

 「岩本正倫という幕府の役人が、当時頻発していた飢饉に備えるために栄養価の高い牛乳に着目したそうで、そうした歴史、物語を引き継いでいこうと考えています」

 そう語るのは館山市にある「須藤牧場」の4代目の須藤健太さん(30歳)。代表で3代目の父裕紀さんと共に100頭余りの牛を飼う。曽祖父で初代の源七氏が100年前に3、4頭から始めた酪農を発展させてきた。「酪農発祥の地という歴史がこの地にあったから初代も牛を飼うことを決めたのだと思います」と健太さんは考える。

 だが、そんな日本の酪農に今、危機が迫っている。新型コロナウイルスのまん延の影響で学校給食用など牛乳の消費量が減少、「もっと牛乳を飲みましょう」とテレビカメラの前で政治家が牛乳を飲み干す姿も記憶に新しい。需要減少の一方で、世界的なインフレの影響で輸入飼料や光熱費が大幅に上昇。しかし、生乳の価格は政府の方針の影響を受けるなど、そう簡単には上昇しない。コストを吸収できず、急速に経営を圧迫しているのだ。

「長年進めてきた6次産業化が軌道に乗っていなかったら、立ち行かなくなっていたかもしれません」と健太さん。須藤牧場は10年以上前から高付加価値化に取り組んできた。酪農を1次産業で終わらせず、加工品を作る2次産業や、販売サービスを行う3次産業にも進出、1+2+3で「6次産業」というわけだ。

 須藤牧場がブレークするきっかけになったのはアイスクリーム。「ピュアミルク」のブランドで売り出したアイスを作ったのだ。館山には首都圏から多くの観光客が訪れる。そうした観光客の間で人気を博した。夏ならば放牧場で草を食む牛たちをのんびり眺めることもできる。須藤牧場に立ち寄ってアイスを買っていく人たちが増えていった。牧場の一角に直売所も作った。6次産業化に乗り出したわけだ。

 そうはいっても須藤牧場のウリは1次産業。消費者に訴求するには何よりも「ミルクの味」が重要だと健太さんは言う。須藤牧場ではジャージー牛を飼い、「プレミアムジャージー牛乳」として売り出している。ジャージー牛のミルクはコクがあり風味も豊かなので味は抜群だが、牛の出す乳の量がホルスタインに比べて格段に少ない。前述のように共同出荷する場合の価格は決まっているから、ジャージー牛を飼う酪農家は多くない。全国の乳牛のうちジャージー牛は1%に満たないといわれる。

夏の暑さ対策を考え、牛舎の屋根は高くとってある

 しかも、須藤牧場のジャージー牛は1頭の牛から搾ったミルクをなるべく混ぜずにボトルに詰める。「牛の個性を大事にしたいから」(健太さん)だ。「牛も日によって体調が違う。健康で元気な牛のミルクは断然おいしいのです」。そのためには当然のことながらエサにも工夫がいる。とうもろこしや穀類のエサの60%は自分たちの畑で自ら育てている。


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