通常の想定が成立しない
日本のマクロ経済循環
この現実に正面から向き合う必要があるはずだが、多くの経済分析はうまく対応できていない。伝統的な経済学モデルの想定から外れているからだ。
家計が「貯蓄」し企業が「投資」する形で資金が循環して経済は成長していく。日本も98年以前は当たり前にこう動いていたものの、98年以後は家計だけでなく、企業も貸し手となってしまった。そこで成長と分配の好循環を改めて目標とするわけである。
是正策としてまず実施されたのは、二つの伝統的マクロ経済政策だった。一つは企業が資金を借り入れて設備投資を行わないので、資金のコストである金利を下げる金融政策、もう一つは民間消費過少・貯蓄過剰の場合、この貯蓄を借りて政府が公的支出拡大を行う財政政策である。
現状の巨額公的債務やマイナス金利が示すように政府と日本銀行は極限までこの二つの政策を推し進めてきた。ところが企業が貯蓄をしているぐらいだから、もともと資金需要は限られる。家計の利子収入は下がったが、日本では株式投資が家計に浸透していないため、上がった企業利益と株価の果実は得られない。他方、金融緩和で発生した資金余剰をいつまでも市場が吸収できなければマクロ経済が縮小均衡に陥る「必要悪」となる。
民間資金余剰の吸収先の一つ目が政府なら、もう一つの資金吸収先は海外だ。ショック直後は大規模に行われた政府借り入れも、時間が経てば徐々に減少していく。ところがその後、結果的に資金は海外に流れていき、内需にうまく回らなかった。これは企業選択の結果だが、海外投資は企業にとって経営上必要な判断だったとしても、国内家計にとってのメリットは薄い。国内の設備投資や雇用に還元されず空洞化を招くだけでなく、 海外M&Aなど直接投資のかなりが失敗し、これが海外子会社の株式評価損などに反映され、平均的にはこのストック評価損がフローの配当収入などを打ち消す大きさであることが分かってきた。さらに、 仮に利益を上げて株価に反映されたとしても、株式保有が少ない日本の国内家計には還元されない。
当然ながら、日本の伝統的製造業が輸出先で海外生産を迫られることは政治的には必然だし、輸出大国だった日本があまりに一国主義的なことは言うべきではない。しかし流れに付和雷同した非製造業などの無理な海外投資は失敗しているのである。反面国内では、日本企業は平均的には減価償却費の範囲内で投資をしており、追加の純投資あるいは拡大再生産をしていない。つまり日本は営々として余力を政府の借金と海外資産に振り向けたことで、世界一の公的債務国と対外純資産国になってしまったことになる。企業利益が海外流出している現状は、自らグローバル経済の〝植民地〟になっているようなものだ。
平均して国内総生産(GDP)比10%弱にも及ぶこの財政と海外部門に流れる資金余剰が、もし仮に内需に使われていたならば、大幅な経済成長につながっていたことは間違いない。多くの経済学者が議論を好む1~2%の生産性の違いやインフレ率の微調整は、米国の課題と学会流行を反映しており、日本ではGDP比にして一桁違う資金循環の変化こそが重要だ。こういった循環に開いた大きな「穴」は政策や分析の「失態」でもあるが、改善余地という「希望」と見ることもできる。