――教科化や専科化の弊害とはなんでしょうか?
大津氏:弊害というよりも、まず、教科化や専科化を実施し、先程も申しましたが、全国に約2万校ある小学校に、英語学習で一番重要である入門期の授業を担当できる人員を確保することが現実的に難しいことを指摘しておかねばなりません。こういう意見を言うと、教科化推進派の人たちは「すぐに2万校満遍なくとはいかないが、徐々に整えていけばよい。新しいことをやるときはそういうものだ」と反論するでしょう。しかし、入門期の重要な学習環境を、地域間、学校間の格差が生じることを承知の上で、「徐々に整えていけばよい」では済まされません。あまりに乱暴な考え方です。
ここからが弊害ですが、よい入門期の指導ができないと何が起こるかと言えば、小学生のうちに、英語が嫌いになってしまう。現在でもそうですが、その傾向が一気に強まる。これまで中学校で英語が嫌いになる人はたくさんいましたが、小学校英語の教科化は単に英語嫌いの前倒しをするだけという結果になる可能性が大いにあります。そこが一番の深刻な弊害です。
――実は私も中学生の時に英語が嫌いで苦手でした。入門期の教育はすごく重要だと実感します。
大津氏:中学1年生のはじめの頃は、生徒もやる気があるし、教える内容もあまり多くありません。だから、暗記すればなんとかなるので、どんな人が教えても誤魔化すことができます。ただ、そこから先はきちんと文法を教える必要があり、これには知識や技術、経験がものを言います。学校周辺の地域にいる英語に堪能な人に補助を仰げばいいと言う人もいますがそう簡単にはいきません。
いつも言うのですが、立場を入れかえて考えてみてください。日本語を母語として、苦労なく使える人であれば、だれでも入門期の日本語を教えられるかといったらそうはいかないですよね。たとえば、
「父は帰宅してから、夕食を食べた」
「父が帰宅してから、夕食を食べた」
この2つの文は似ていますが、だれが夕食を食べたのかについて違いがありますね。最初の文であれば、夕食を食べたのは父ですし、2番目の文であれば、最初に思い浮かぶのは夕食を食べたのは家族のだれか。少し落ち着いて考えると、父を含めて、だれでもよい。その違いがあることはわかっても、どうして違いが生まれるのかを答えられる人はまれです。きちんとその訓練を受けなければなりません。日本語を教えるとなれば、こうした説明ができないと困ります。英語について、同様のことができないと入門期の先生は務まらないんです。
こう考えていくと、英語教育について施策を立てている人たちがことばそのものの仕組みや働きについてきちんと理解していないことが根本的な問題であると思います。ことばに関する考えが素朴なんです。それなのにことばに関してはなんでも語れると思っている。