2024年5月19日(日)

スポーツ名著から読む現代史

2023年10月7日

卒業生の飲酒・喫煙でセンバツ辞退

 「体罰」騒動に揺れた駒苫だったが、その年の秋の全道大会に続いて国民体育大会でも優勝、さらに明治神宮大会は、さながら「田中劇場」。4試合に登板し、決勝で関西(岡山)を完封するなど毎試合2桁三振を奪って「世代最強」を強烈に印象付けた。

 新チーム結成以来、無敵の17連勝。翌06年1月31日、当然のように駒苫はセンバツ大会の出場が決まった。

 大黒柱の田中を擁し、夏春連覇と史上2校目の夏3連覇の大偉業が待ち受ける。そんな駒苫を、またしても不祥事が襲う。3月1日、卒業式の夜のことだ。野球部の卒業生10人とバスケット部の4人がJR苫小牧駅近くの居酒屋で宴会を開いていたことが発覚。翌日未明、通信社が第1報を伝えると、ネットニュースで全国に駆け巡った。

 補導された3年生はすでに野球部を離れており、田中ら現役野球部員に責任はない。それでも学校側の対応は早くから「センバツ辞退」に動き出した。

 それだけではない。校長は自らの辞職に加え、監督と部長の辞任も発表した。早々と事件の鎮静化を図ったともいえる。だが、香田には事前の連絡も相談もなかった。香田は1カ月の謹慎を経て4月から野球部の顧問として戻り、5月には再び監督に復帰し、かろうじて「夏」に間に合った。

決勝再試合で3連覇逃す

 駒苫の3連覇がかかった夏。田中の調子は2年の時ほどではなかったが、南北海道大会で4連覇を達成し、甲子園出場を決めた。甲子園では初戦の2回戦と準々決勝は田中が一人で投げ切ったが、3回戦と準決勝は田中を温存しようとしたものの、相手チームに早々とリードを許し、結局は早い回から田中を投入してかろうじて逆転勝ち。田中への依存度がこれまでになく高まった状態で早稲田実業との決勝にコマを進める。

 迎えた決勝戦。田中と斎藤の投げ合いは1-1のままともに譲らず、3時間37分に及んだ熱戦は延長十五回、引き分けに終わり、松山商―三沢の一戦以来37年ぶりの再試合に持ち込まれた。その再試合を早実が4-3で制し、駒苫の夏の甲子園での連勝は14でストップし、史上2校目の3連覇はあと一歩のところで実現しなかった。

3年生部員の猛反発

 田中ら3年生が抜けた新チームは、最初の公式戦、秋季支部予選で七回コールド負けを喫し、05年夏から続いていた道内公式戦の連勝は32でストップした。香田は決して落ち込みはしなかった。むしろ、著者の目には楽しんでいる様子に映ったという。だが、そうした平穏な日々は長続きしなかった。

 11月に入ってからだ。野球部の寮の近くのゴミ捨て場に、たばこの吸い殻でぱんぱんになった学校のカバンが捨てられているのを寮母さんが見つけた。寮生を問い詰めると、3人の3年生部員が名乗りを上げた。部内で内々に処理するものだと思ったスタッフもいたが、香田は手心を加えることに反対し、3度目の不祥事が公になった。

 <香田は3年生全員の問題とし、翌日から全員練習に参加するように命じた。ほとんどの3年生が自動車教習所に通っていたが、それも即刻やめるよう指示した。それに対し、連帯責任を負わされる形となった3年生が反発した><「練習に出ろ、ということだけなら、みんな出てたと思う。ただ、(教習所を)やめろ、となったんで。もう、引退したんだから言うことききたくねぇよ、みたいな雰囲気もあった」と主力選手の一人は説明した>(351~352頁)

 翌日から3年生は学校内で香田とすれ違っても目を合わせず、露骨に無視するようになった。甲子園で「優勝、優勝、準優勝」と、栄光の3年間を過ごした教え子と香田の間にできた溝は卒業まで埋まることはなかった。


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