2024年5月19日(日)

スポーツ名著から読む現代史

2023年10月7日

突然の「辞任」報道

 田中たちが卒業した07年のシーズンは、いきなり「特待生問題」が大きな社会問題となった。これまで「公然の秘密」としていわば黙認されてきた特待生の存在を高野連が問題視し、是正に乗り出した。駒苫も111人の部員のうち、3年生15人を含む31人は5月2日から31日まで対外試合を自粛しなければならなくなった。

 大黒柱の田中が抜けた駒苫だったが、夏の南北海道大会は順調に勝ち進み、北海道勢初の5年連続で甲子園出場を勝ち取った。しかし、本大会では初戦、広島・広陵に敗れ早々と甲子園を去ることになった。

 翌日の「スポーツ報知」に「香田辞任」の大見出しが躍った。

 <香田自身も驚いた。ただ、そうした報道が出ることについて心当たりがないこともなかった。監督に復帰した前年5月、疲弊しきっていた香田は校長に、もはや心身ともに限界であることを訴えていた>(388頁)。また、2度目の不祥事で、センバツを辞退した時には辞表も提出した。とっくに破棄されたと思っていた辞表が記者の目に触れ、それが辞任の「決め手」となっていた。

 香田が著者に憤懣(ふんまん)をぶちまけている。<「負けるのを待っていたかのように(記事が)で出たからね。クソ新聞がって思ったよ。学校も何でこんなに脇が甘いんだって。内部情報が洩れているんだから」>(390頁)。

 学校内に「アンチ香田派」がいたのは間違いない。香田の側にも学校への不信感は広がっていた。<「甲子園に出てもさ、もう喜んでくれなくなってたんだよね。毎回寄付金を募らなきゃいけないからさ。学校の先生方、後援会の方々も、またかよみたいな。こっちも何度もすいませんって頭下げて。全員とは言わんけど、過半数はもう冷めてた。おめでとうって言われなくなったし。もう勝たない方がいいのかなって」>(392~393頁)

 香田が記者会見で辞任を表明したのは8月20日。広陵に敗れた9日後だった。半年間、野球部の顧問をしたあと、翌08年3月、13年間在籍した駒苫を退職し、家族と一緒に車で苫小牧を後にした。早朝でもあり、見送りは吹奏楽部とチアリーディング部の顧問の2人だけという寂しい別れだった。

社会人監督を経た新たな門出に期待

 駒苫を辞職した香田は08年5月から横浜の鶴見大学のコーチを4年務めた後、福岡の西部ガスが12年に社会人野球チームを結成するにあたり、コーチとして招かれ、17年11月から監督に就任。23年まで6年間で4度、社会人野球の最高峰である都市対抗野球大会に出場し、日本選手権には5年連続で出場する常連チームに育て上げた。

 極寒の地・苫小牧で高校生を鍛え上げ、3年連続全国制覇の一歩手前まで導いた香田。その名将が栄光の日からわずか1年半後には追われるように苫小牧を去った。起伏に富んだ13年間は、競技の枠を超え、高校スポーツの指導者に貴重な教訓を残したと言える。

 香田は11月8日開幕の社会人野球日本選手権を最後に、西部ガスの監督を退く。その後の進路はまだ公表していないが、香田の聖地、甲子園で3度目の「全国制覇」を目指すことになるのか。注目したい。

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