2023年、筆者は一生記憶に残る夏を過ごした。指導していたゼミの代表だった慶應義塾高校野球部監督の森林貴彦氏が甲子園優勝という歴史的快挙にチームを導いたのだ。
一人ひとりに考えさせ、試行錯誤させ、ときにはあえて失敗もさせながら自ら成長をつかみとらせるという、驚くほど粘り強い指導を続けた努力が見事に結実し、多くの人に感動を与えた。監督の厳しい指導に従ってひたすら練習を積むという一般的な高校野球のイメージを大きく覆し、世間でもその指導法に注目が集まっている。
一方、ロシアの民間軍事会社「ワグネル」の創設者プリゴジン氏の死亡事件や大手中古車販売会社ビッグモーターの不祥事など、日本でも世界でも、独裁的なリーダーが組織を率いた結果、集団極性化に陥り、取り返しのつかない事態に至る事件が多く見聞される。
恐怖や抑圧を用いた組織づくりを行うリーダーは、トップに位置するという意味でリーダーと呼ばれるが、リーダーシップを備えているとは言えないことを示している。リーダーとリーダーシップ、ときに混同して使われるこの2つの言葉の違いを、ぜひ読者の皆様には明確に区別することを意識していただきたい。本稿では、強権的なリーダーやパワープレイヤーに対峙したときに、自身を冷静に保ち、適切に対処するための考え方をご紹介したい。
「集団極性化」という危険性
組織において、自分の考えや意見を率直に言い合える「心理的安全性」の大切さを説く声を最近よく耳にするようになったが、現実世界においてはまだまだ、上司や年長者の意見に逆らうなどとんでもない、という組織の方が圧倒的に多いのではないだろうか。
たとえば会社の会議で、その場の最上位者である部長が「今後、わが社としてはこのような方針でいきたいと思いますが、皆さんいかがでしょうか。忌憚のないご意見をお願いします」と問いかけたとき、一体何人が問題を指摘したり、反対意見を述べたりするだろうか。部長に目をつけられたら出世できない、という恐れから、自分の意見を飲み込んで、「おっしゃるとおりです」と肯定の道を選ぶ人は少なくないだろう。
しかし、そのような状態が続いていくと、トップの偏った考えに傾き、組織として極端な方向に進んでしまう。これは集団極性化と呼ばれる。
集団の中では、自分が人よりもすぐれていると認められたい承認欲求があるため、また、極端な意見を言っても責任の所在がある程度分散されるため、人はより強い発言をしやすく、その結果、集団として高リスクな判断をする傾向がある、という心理を示している。匿名性の高いSNSの世界では、発言の責任の所在の曖昧さから、頻繁にこの集団極性化が起きている。
なお、集団極性化が逆に働いて、変化すべき局面においても安全性を極端に重視するあまり現状維持にとどまってしまい、結果として衰退する、という問題が生じるケースもある。