中止の代償は大きい
世界都市博は、博覧会でも五輪でもない第三の国際行事として臨海部の開発途上を見せようと、世界の都市とともに新しい都市像を提案する都市フロンティア運動を提唱した。博覧会条約の縛りなくやろうという狙いもあった。
だが開発途上のインフラ整備が間に合わないこともあり、開催は96年に延期された。鈴木知事の4期目の任期は95年に終わる。84歳になっていた鈴木知事は後継者を擁立したが都市博中止を訴える青島幸男氏が当選した。
青島知事は、都市博は公約通り中止するが臨海開発は続けると表明した。そのとき既に268万枚におよぶチケットを売りさばいていたし、海外諸都市との出展交渉も煮詰まっていたため、後始末が大変だった。
計画部長になっていた筆者は青島知事の海外へのお詫び行脚に随行したり、関係団体等への補償折衝等にも関わった。鈴木知事は自身の70年大阪万博の成功体験に影響されすぎていたと思う。
チケットの払い戻しは当然だが、すでに建設工事や展示の準備に取りかかっている事業者等下請けも含め数千件、340億円の補償を行った。このような事態に陥ったのは、東京都という行政主導の博覧会のため、人々に対して開催意義が十分にアピールできなかったことが大きいと思う。
大阪万博は、経済界主導に転換し、人々が期待する内容を押し出していくことで初めて推進力が得られるだろう。70年大阪万博では、たとえば日本電電と国際電電が共同して出展した「電気通信館」で、未来のテレビ電話や携帯電話のデモンストレーションが行われ、話題を呼んだ。
今回も「未来社会の実験場」のテーマのもとに情報、農業、災害、民生などの分野で先端技術が披露される万博とするためには日本の産業界がその先頭に立つほかないのではないか。