<本日の患者>
N.C.さん、42歳、女性、クリーニング店オーナー。
「実は、兄が胃がんになったみたいなんです。昨夜スマホにメッセージが入ってて、それで……、なんて言うか……、兄に何を伝えたら良いか、先生に教えてもらえないかと思って。それから……、何か言っちゃいけないこととかってあるでしょうか」
「わかりました。いくつかポイントがあるのでお話ししましょう。お兄さんの病気、N.C.さんもびっくりしたでしょう」
「ええ、とっても。小さい時からずっと仲が良かった兄なので、自分のことみたいです」
N.C.さんは、私の働いている診療所にはもう10年通っている。鉄欠乏性貧血、子宮筋腫、全般性不安障害、手根管症候群など、時に他科専門医の助けも借りながら、私と診療所のチームは彼女へ継続したケアをしてきた。彼女の70歳の母親と、10歳と7歳の娘たちも、いろいろな病気や健康問題で私たちの家庭医診療所を利用している。
今日はN.C.さんの手根管症候群の症状の経過を聴いて診察する定期受診だったが、症状はひどくなっていないとのことで、彼女は早々に上記の話題へ進んだのだった。そう言えば、今日のN.C.さんは、最初から何か落ち着きのない様子をしていた。N.C.さんの兄は、遠くに住んでいることもあり、私には面識がなかった。
映画『生きる』が表現するがんの衝撃
がんと診断されてからの数週間の時期は、患者にとって最も大変な時期である。次から次と多くの疑問が湧き上がってくるし、短時間に多くのことを選択しなければならない。感情は波立ち、とても平静ではいられない。
もう70年も前に作られた映画だが、黒澤明監督作品の『生きる』(1952年)は、志村喬演ずる実直な役所勤めの主人公が胃がんに罹ってしまう物語だ。1950年代、胃がんはまだ不治の病だった。
「いいえ、がんではありません。胃潰瘍です」と告げる医師の説明が診察前に待合室で事情通の患者から「医者は真実は告げずにこう言う」と聞いていた内容と酷似していたために、自分が胃がんに罹ったに違いないと確信した主人公が、病院を出て交通量の激しい通りを歩いている場面では、すべての音声が消されている。サイレントにすることで、自分ががんになったことを知ってしまった患者への衝撃の強さを表現しているのだと思う。
「頭の中が真っ白になった」状態だ。そして突然、通りの雑踏の音が主人公を取り囲む。2022年8月の『家庭医が悩む肥満ケア 解決のヒントは映画にあり』で紹介した映像を医学教育に使う「シネメデュケーション」でも、この場面は何回も使っている。
主人公は、一時自暴自棄の放蕩に溺れるが、今まで毎日役所でルーチンの仕事だけをして「本当の意味で生きてこなかった」自分に気づき、地域住民のために小公園を作ることに奔走する。人生の最期がいよいよ近いことを悟りつつ、出来上がった公園のブランコに乗りながら「いのち短し 恋せよ乙女」で始まる『ゴンドラの唄』を主人公が歌う最後の場面はせつない。