「日本での職を紹介してくれないか」
唐突に持ち掛けてきたグルジア人女性
公務員や、教員といった職業でも事態は同様だった。私には、忘れ得ない光景があった。
「私は、あなたを3日間待ち続けたのです。あなたは私に、ウソをついたのですね」
大学のすぐ近くの路上で、私を見つめる50代前後の女性の目は、怒りに震えていた。それには、このような経緯があった。
大学から寮に戻る途中、外国人留学生とみた私に声をかけてきた女性がいた。旧ソ連グルジア(ジョージア)出身という彼女は、ある大学で理工学の教授だったが、職を失ったという。彼女は私に「あなたの国の大学で、職を得られないか」と唐突に持ち掛けてきたのだ。
私自身もあまりに軽率だったが、「何かないか、探してみます。明日また、ご返事します」と、人助けのような思いで答えてしまったのである。
ソ連時代、学校教員や病院の医師などは、社会から尊敬される仕事だった。国家の発展に尽くすという意味でも当然だった。しかし、ソ連崩壊は前述の年金受給者と同様に、公務員の生活も奈落の底に落とした。外国の学生に、職を紹介してもらおうなどという考えは非常識極まりないが、それほど必死だったのだろう。
ただ、私はすぐに、自分の言葉があまりに軽はずみだったことに気が付いた。グルジアという国が当時、ソ連崩壊に伴い大きな混乱に陥っていたこともあり、「これ以上、関わらない方がいい」とアドバイスしてくれた先輩もいた。そのため私は、彼女と出会った道を通ることをやめたが、3日後、再び同じ道を通ると、そこに彼女は待っていたのである。
私が「すみません。私はただの学生なので、何もできません」というと、彼女は私を激しく非難しながら「I understand, I understand!(わかった、わかったわ!)」と英語で言って立ち去った。どれほどの思いをもって、そこに立ち続けていたのかを考えると、今でも申し訳ないという思いに駆られる。
正確性を欠いた判断と行動は、ちょっとした親切心から出たものであっても、当時のロシアの市民には何の助けにもならないほど、彼らの生活を取り巻く状況は悪化していた。
道路で、うつぶせで突っ伏している老人の姿も何度か見た。何が理由かは知らないが、おそらく息絶えていたのだろう。ただ、誰かが助けるわけでもなく、社会が殺伐としている状況だけは見て取れた。
目立つ服装で街中を歩くことも厳禁で、外貨を持っている外国人の学生であればなおさらだった。親が大手商社に勤めていた日本人学生が、現地でできた友人の家を訪問すると、相手の親に「今すぐ、父親に連絡をして私の会社と契約させろ!」と言って友人宅で監禁されたなどというエピソードも耳にした。曲がりなりにも社会の統制がきいていたソ連時代には、考えられない出来事だったに違いない。
警察官などによる賄賂の要求も深刻だった。彼らも公務員であり、給料だけでは生活が成り立たない状況だった。
1996年2月、シベリアのイルクーツクに日本人の友人らと思い切って旅行した。凍り付いた、世界最深のバイカル湖を見たかったからだ。
その夢はかなったが、帰りのシベリア鉄道に乗る直前、若い警官に「あなたは、国内を旅行する正式なビザを持っていない」と突然問いただされ、鉄道が出発する直前の夜中に、貨物列車の裏に連れていかれ、賄賂を要求された。
真冬の、しかも夜である。鉄道が出発する直前に、シベリアで放置されるわけにはいかなかった。「正式なビザ」というのも、そのようなものは必要ではなく、当然言いがかりだった。しかし、命があっただけでも良かったというのが、率直な思いだった。
[第6回【プーチンが支持される理由】「エリツィンは欧米の手先」GDPマイナス14.5%の経済崩壊でロシア人が抱いた民主主義への失望 そして「独裁=安定」のプーチン登場へ(3月6日公開)へ続く]
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