住民を安心させることは至難
高リスクでも取り組んだこと
敷地内には「海洋生物飼育試験施設」がある。
「発電所の中には安全のための施設が多いですが、ここは唯一『安心』を伝えるための施設です」
こう言って迎えてくれたのは、同施設責任者の山中和夫さんだ。2022年9月に完成したこの施設では、ヒラメやアワビといった生物を飼育している。東電は23年8月、初めて処理水の海洋放出を行ったが、それに先立つ数年前から地域の方々とのコミュニケーションを深める中で、生き物の飼育を決断したという。住民からすれば東電から「安全である」という説明を聞いても、「安心」することまではできなかったことも大きい。
風評被害への懸念もあった。「住民の皆様からの、『実際に処理水を含んだ海水の中で生き物を飼ってみてくれないか』、『海の生き物の元気な姿が見たい』という声に応えるため、開設に至りました」と山中さんは言う。
だが、海洋生物を飼うことは一筋縄ではいかなかった。そもそも、飼育のノウハウがない。また生き物なので当然、自然死もする。そのときに「処理水の影響はない」と言い切れるのか。また、安全とはいえ処理水を含む海水は「放射性液体廃棄物」として取り扱う必要があり、捨てることができない。いかに水を循環させる環境を整えられるかなど、課題は山積みだった。
まずは生き物の生態について理解を深めるために、管理区域外で半年間ほど飼育の練習をした。「ヒラメはじっとしていることが多く、飼育しやすい半面、同じ水槽内で争い合い、傷を負うこともあります。どれだけきれいな環境で育てていても、寄生虫にやられてしまうこともありました」と、山中さんは当時を振り返る。
ヒラメをはじめとした生き物の健康状態は定期的に確認し、記録・分析している。「処理水を含む海水」と「通常の海水」の飼育環境に有意な差は出ていない。また水槽内の様子は全世界に向けて、「東京電力福島第一海洋生物飼育試験ライブカメラ」として、リアルタイムで、動画配信している。
これらの取り組みについて、リスクコミュニケーションに詳しい東京大学名誉教授の唐木英明氏は「科学的な視点で見れば、ヒラメの飼育実験に意味はありません。なぜなら、有意な影響が出ないことが明らかだからです。しかし、情報の多くを『人々の想像』に委ねてしまうと、恐怖は拡大してしまうもの。したがって、現場を見せることの意味は非常に大きい」と話す。
処理水はいかに安全といえるのか。東電は30基のタンクを「測定・確認用設備」として用い、処理水の性質が国の定める放出基準を下回っているかどうか検証している。その検証も単に東電だけで実施するのではなく、日本原子力研究開発機構(JAEA)と化研を含めた3つの機関がそれぞれ測定し、分析結果を公表することによって客観性を担保しているという。
処理水に残されるトリチウムという原子は、水素の一種だ。普通の水素と同じように水として、水蒸気や雨水、海や川の水、われわれが口にする飲料水や食べ物にも含まれている。このトリチウムをめぐる規制基準は、各国によって値が異なるが、日本は「1リットルあたり6万ベクレル」と定めている。これに対し、東電が示した基準値は下記図で示した通りで、より「安全サイド」の基準を前提に運用している。
過去には米国のスリーマイル島や旧ソ連のチェルノブイリでも原発の事故が起きた。
しかし、「それらと違い、日本は原発のオペレーションそのものが止まってしまっています。原発の建設に携わる技術者の減少は他国においても共通の課題ですが、『原発を実際に動かしたことがある人』さえ減り続けているのが日本の現状なのです」と前出の山本氏は危惧する。