林野庁「悲願」の森林環境税
この森林環境税は、所管する林野庁にとっては悲願だった。そもそもの始まりは、横浜市が山梨県道志村に所有していた水源林の整備に充てる費用を水道料に上乗せして徴収していたのを参考にしたもので、林野庁は1986年に「水源税」を創設しようとした。
このように市町村の先行事例を模倣して国の新規事業にすることはよくあった。しかし、増税感丸出しだったのが禍して実現しなかった。翌年には建設省(現国土交通省)と組んで森林・河川緊急整備税を要望したが、これも失敗に終わる。
その後、91年に地方交付税の枠外に森林交付税の創設を目論見、市町村や市町村議会議員によって組織された促進連盟を結成し、実現運動が展開された。この手の運動は中央官庁の常套手段である。
2003年には方針転換して全国森林環境・水源税、06年には縁起の悪い水源税の名を外し、全国森林環境税と名称を変えながら、与党、林野庁と一体となって創設を目指し、19年に至って森林環境税を創設することが決定した。
その間33年の長きにわたる労苦が林野庁のホームページに誇らしげに掲げられている。税金なんて国民からすれば嫌悪の最たるものなのに、この態度は度し難い。いったいどっちを向いて仕事をしているのだろうか。
森林環境税の仕組み等は、このホームページを見ていただければわかるので、ここでは詳しく語らない。
要望はしたけれど使い方がわからない市町村
こうした旧態依然とした長年の運動で実現した森林環境税であるが、どのような使い方をしたらいいのか。林野庁は「森林環境譲与税を活用して実施可能な市町村の取組の例について」(林野庁・総務省は「ポジティブリスト」と呼ぶらしい)を掲げている。
30年もかけた上、市町村や市町村議員による熱烈な応援でできたものなのだから、創設と同時に完売致しましたかと思ったが、そうでもないらしい。「各市町村等から、どのような取組を実施できるのか具体的に例示してほしいという声を多くいただく」ので、“ポジティブリスト”を作ったのだそうだ。いったい彼らにどんなポリシーがあったのか。
これでは「林野庁に言われてやりました」ということが、見え見えではないか。これが従来型の予算獲得の構図である。
与党、担当官庁、その意を受けた都道府県や市町村が財務省に要望攻勢をかけて実現する。いつも財務省から予算を絞られている担当官庁は予算枠を確保・拡大するため与党(いわゆる族議員)と地方自治体に要望させる。族議員は地方自治体に恩を売って選挙協力を勝ち取る。市町村は増額された予算の配分にあずかる。財務省は地方からの要望に応えたという形ができるし、与党に恩を売れる。
まことによくできたもたれ合いの構図だが、肝腎な政策の中身そっちのけで増額要求ばかりを何十年も繰り返しているうちに、山村は滅び、クマ、イノシシ、シカが溢れかえり、都市部にまで進出する勢いになってしまった。