ユダヤ人大虐殺よりも大規模な優生学プロジェクト
さらに、インド出身の著者は、「人類史における最大規模の『消極的優生学』プロジェクトは、一九三〇年代のナチスドイツやオーストリアでのユダヤ人大虐殺ではない」と、告発する。
「それよりはるかに大規模な優生学プロジェクトがインドと中国でおこなわれており、幼児殺しや、妊娠中絶や、ネグレクトにより、一〇〇〇万人以上の女児が成人する前に姿を消している」というのだ。
<邪悪な独裁者や残虐な国家というのは優生学の絶対的な必要条件ではない。インドの場合には、完全に『自由な』市民が、政府に命令されなくても、女性に対する醜い優生学プロジェクトを実行に移すことができるのだ。>
「遺伝学の歴史から得られた科学的・哲学的・道徳的教訓」を学ぶ義務
遺伝情報を「読む」時代から「書く」時代に入った今、ゲノム編集技術を使えば、情報を付け加えることも可能になる。
「改良」や「増強」が可能なら私たちは何を望むのか。種にとって「良い」とはどういうことか。そう、著者は問いかける。
<遺伝的な弱点を洗い出された男女と、改変された遺伝的傾向を持つ男女が暮らす世界。病気はしだいに世界から消えていくかもしれないが、それと同時に、アイデンティティも消えるだろう。悲しみは消えるかもしれないが、やさしさも消えるだろう。トラウマは消えるかもしれないが、歴史も消えるだろう。ミュータントはいなくなるが、人間の多様性もなくなるだろう。弱さはなくなるが、傷つきやすさもなくなるだろう。偶然は少なくなるが、選択の機会も避けがたく、少なくなるだろう。>
ゲノムをいかに管理するかは、ヒトという種の知識と判断力を示す究極の試金石となるだろう、と著者は結ぶ。
ならば私たちは本書を読んで、「遺伝学の歴史から得られた科学的・哲学的・道徳的教訓」を学ぶ義務があるだろう。