取材班はこれまでに電力関係者らから「停電しなければ国民は電気の大切さが分からないのではないか」「原発再稼働の機運を高めるためにもっと発信してほしい」という発言を何度か聞いた。もちろん、彼らの切実な思いであることは間違いないが、メディアの立場としては、複雑な気持ちになったことも事実だ。
今回の第7次エネルギー基本計画策定に向けた議論でも、データセンターなど、増加する電力需要に対する原発再稼働が大きなテーマになっている。だが、国際大学の橘川武郎学長は「単に電力需要の増加で原発再稼働に結び付ける主張は、一般論として正しいものの、『増えるから原発再稼働が必要』だけでは従来の延長線、あるいは同じ議論の繰り返しという印象がある。また、それを理解していない国民が悪いというイメージを広げてしまう可能性もあります。原子力はなぜ必要で、どういう価値を生み出すものなのか、国は国民に丁寧に示し、理解を得ることが欠かせません」と指摘する。
それだけではない。冒頭述べたように、多くの原発を保有しておきながら、停止期間が長く、現場での技術継承は深刻な問題になっている。
東日本大震災以後に入社した若手社員は、稼働中の原発を目の当たりにした経験が少ない。また、全国に17基ある沸騰水型軽水炉(BWR) の再稼働は震災以降進んでおらず、国内メーカーの撤退も相次いでおり、土台となる技術力の維持も危うい状況だ。高レベル放射性廃棄物の処分についても計画通りに進むのかどうか、先は見通せない。
このように原発を取り巻く課題は山積しており、原発再稼働を掲げるのであれば、こうした足元の課題も同時並行で、真剣に議論していくべきだ。これからも日本で原子力の火を灯し続けるのであれば、世界一厳しいとされる規制のあり方なども含め、電力会社と国との間で、未来志向かつ建設的な対話も欠かせない。「いつか、国が(電力会社が)なんとかしてくれる」という希望的観測ではなく、双方の協力・協調も必要であろう。国民も政治や電力会社任せにするだけでなく、日本の将来のエネルギー選択について当事者意識を持つことが求められている。
「エネルギーの街」から
首都圏の人々に伝えたいこと
柏崎市、刈羽村はかつて、原発建設をめぐり賛成派・反対派の間で激しい対立があった。その最前線で指揮したのが当時の小林治助柏崎市長であった。小林市長は1号機の運転開始を見届けることなく退任して約3カ月後、逝去された。まさに「命がけ」でこの難事業に取り組んだのだ。こうした経緯も踏まえ、柏崎商工会議所西川正男会頭はこう語る。「柏崎市の経済が停滞しているから原発を再稼働したいという話ではありません。首都圏の電力供給を支えること、それはすなわち、日本経済の背骨を支えることでもあるのです。それこそが、『エネルギーの街』として責務を全うしてきた柏崎市の自負でもあり、誇りなのです」。
取材班が柏崎市滞在中の7月4日付『新潟日報』の社会面には、「大消費地東京 議論乏しく」という記事があった。東京都知事選における原発再稼働の言及が少なく、大きな争点になっていないことを指摘していた。前出の三井田氏は言う。
「私たちも、宮城県にある女川原発の電力の消費者にあたりますが、彼らの力になれている実感はありません。ですから、電力の消費地である首都圏に何かをしてほしいとまでは言いません。それでも、私たち地元の人々の葛藤や苦悩に対する『理解』だけはしてほしいのです」
電気があるのが当たり前の時代。だからこそ、この言葉に込められた意味をわれわれは真剣に受け止める必要がある。