ヤーマン。男性には馴染みがない人もいるかもしれないが、成人女性では、知らない人はまずいないメーカー名であり、ブランド名。
海外では、中国での認知が高く、10月の国慶節から11月11日の独身の日にかけて最もよくモノが売れるとされるが、そんな時必ずヤーマンの名前が出てくる。
同社は、銀座8丁目中央通り沿いに旗艦店を持つが、いつ行ってもお客が多い。お客の半分は海外からの観光客であり、ショールーム限定モデルは、特に観光客に人気でインバウンド需要を盛り上げている。
銀座8丁目には老舗 の資生堂ビルがあり、こちらは1872年(明治4年)の創業。同社のパーラーは銀座の代名詞として使われたこともある。一方のヤーマンの設立は、1978年(昭和53年)であり、8丁目に念願の旗艦店を持ったのは昨年の秋のことだ。銀座通りを挟んで、化粧品と美容家電が並び立つことになる。
しかしヤーマン設立時のビジネスは、美容家電ではなかったという。そんな会社が、どうして美容家電のトップに立てたのであろうか?
今回、取締役、ブランド戦略本部長の戸田正太氏にヤーマンについていろいろ語ってもらった。
好奇心が、会社の方向性を変えた
「ヤーマンは、バリバリの技術系の会社です」と戸田氏は語り始めた。
設立当時のヤーマンが、何をしていたのかというと、精密機器の輸入だそうだ。また、同時に光学式変位計という技術の詰まった計測システムの開発をしていた。
1978年は日本はいろいろな巨大公共事業の真っ盛り。青函トンネル、瀬戸大橋など、東京五輪を中心に整備した東京ー大阪間に続けと、日本のあちこちでドデスカデンと工事が行われていた。
特に本州と四国を橋でつなぐ瀬戸大橋は、道路:37.3km、鉄道:32.4kmという長さを6つの橋梁、4つの高架橋に振り分け一体化させたもの。ギネスブックにも掲載された巨大建造物である。
橋梁工事で重要な事項に、正確な測定が挙げられる。正確でないとパーツがはまらない、捻れてしまうなどのトラブルが起きる。
ヤーマンの測定システムは、この瀬戸大橋の建設時に使われた。
初めてのシステムが成功すると、普通なら社をあげて「次は、より良い測定器を」となるが、ヤーマンはその道を通らなかった。
「アメリカで、業務用美容機器に興味を持ってしまった」のですと、戸田氏は続ける。
当時のアメリカの美容事情
当時のアメリカの美容に関する的確な資料はないが、こんな感じと教えてくれるテレビドラマがある。1968〜1978年に制作された「刑事コロンボ(旧シリーズ)」だ。ピーター・フォーク演じるコロンボは、見るからに冴えない殺人課の警部補。一方、犯人は、当時一流とされた職業に付いている。それを一流の俳優が演じる。
面白いのは、被害者の嫁さん。旦那の稼ぎが一流ということもあり「保養地にでかけている」ケースがかなり多い。と言っても体が悪いわけではない。美容のため、保養地で規則正しい生活をするためだ。当時のアメリカでは、機器を使った美容というのは保養地で行うもので、家庭で行うものではなかった。
家庭では、テレビによる美容体操が流行っていたが、こちらはダンベルなどの単純な道具以外は使われない。
要するに、医療に近い業務用美容機はあっても家庭用のメジャーな美容機器はなかったようだ。
ヤーマンによると、この状態は、今でも余り変わっていないそうだ。
体脂肪計で特許を取る実力
ここまで美容家電と書いてきたが、その種類は多岐に渡る。ヘア・ケアとしては、ドライヤー、ヘアアイロン、カーラー、ムダ毛ケアで、シェーバー、光脱毛器など。 スキン・ケアでは、スチーム美顔器、光美顔器、各種美顔器など。フェイス・ケアでは、フェイス・ローラー、フェイス・リフトなど。これ以外にボディ・ケアもある。また、健康と美容は分け難しとすると、体重計、睡眠計、なども入れてもいいだろう。
「ヤーマンが美容家電開発を始めた時、エクササイズマシンなど幾つかのモデルを同時に手掛けました。その中の白眉は、まだ世に販売されていない『体脂肪計』」でしたと戸田氏。
今の時代、体脂肪測定はなければならない当たり前の技術だが、当時はまだ影も形もない。
ヤーマンが商品化を思いついたのは、80年代初頭に発表されたアメリカ論文 に「人体に微弱な電流を流すと、その電気抵抗により脂肪の量を測ることができる。」書かれていたからだ。商品化のネタを探す時、論文、開示された特許を確認するのは、商品化のセオリーでもあるが、これ結構大変で、ある意味好きでないとできない。
1985年ヤーマンは、インピーダンス方式として日本初となる体脂肪計「MICHIGAN(ミシガン)」を開発、特許も取得した。コンピューター型このモデル、スポーツジムやクリニックで採用されたそうだ。
「しかし、この特許は 体重計で有名な日本のメーカーに売却しました」
正直、これにはびっくりした。みなさんご存知の有名日本メーカーの名前がでてくるとは思いもよらなかった。
以降、体脂肪計はPC型ではなく、体重計に組み込まれたモデルがスタンダードになる。
自社で生産すればと思う人もいるかも知れないが、特許は取っているものの、体重計をいう分野で考えると、体重計メーカーの方が営業ルートも全部持っているので、強い。
この時期のヤーマンは、業務用途が主体。量産ラインの確保から始まって、販売チャネルの確保に至るまで、かなり投資しなければならない。しかも、当時のヤーマンはまだ知名度のないベンチャー企業であり、有名なメーカーは敵にまわり追撃される可能性もある。
「世界初」だからと言って、必ず儲かる保証があるわけではない。
だが、目の付け所などは、さすがのセンスを感じさせる。