この広さのイメージは、スマートフォンに例えられると思います。垂直的に統合されたメニューのなかでコマンドを選択するガラケーと比較すると、スマホは、それぞれ独立したアプリをいくらでも詰めこみ、入れ替えられるようなフラットな広がりをケータイしているイメージです。テナントを詰め込み、入れ替え、空間的に横に広がっていくモールの感覚と似ている気がします。モールはテナントの四角い看板を施設の外壁に並列させて掲げることが多く、これはさしずめ入れ替え可能なアプリのアイコンのようですね。モールのほうがスマホよりも長い歴史があるのでこの比喩はすこし無理があるのですが、モールもスマホ、どちらも無限に広がることはできず、疑似的な「広さ」のイメージでしかないにもかかわらず、そうした「広さ」のイメージを現代の私たちが消費していることの意味を投げかけているように思います。
もうひとつの質問のモール側が生み出しているものとは、「小さい社会」ではないかと思います。モールがイメージしているものは年代によって異なるのですが、現代のモールは、いろんな人を集めるイベントを頻繁に開催し、そこで集まってくる人びとを、マーケットを広げうる潜在的な消費者として捕捉しつつ、多様な人びとを許容できる「安心・安全」な社会を作り上げているのではないでしょうか。現代のモールの「広さ」のイメージは、多様な人びとを許容しようとするのだけれど、そうすればそうするほど妙に均一的で、管理されたものに見えてしまうという多文化主義的で、市場経済的な現代社会のパラドクスやジレンマを表しているようにも思えます。
ーー南後先生はどうお考えですか?
南後氏:人々がモールを欲するのは、巨大さや商品の集積量だと思います。これだけネットショッピングが普及すると、わざわざ買い物に出掛けるなら、リアルな商業施設でしか体験できない空間やイベントの価値が求められるし、パッケージ化された空間で効率よく買い物したいという欲求も生まれる。90年代後半以降高まった、一度に大量の種類の商品を効率よく買いたいという感覚に、モールはうまく対応していると思います。
もうひとつのモール側が何を生み出しているかですが、賛否両論あるものの、いまのモールは単なる消費空間ではなく、従来、行政が管理する公共施設で行っていた地域のイベントを行うようになっている。その背景には、人口の減少や、税収の低下があります。そう考えると、商業施設が「新しい公共」の文脈で担う萌芽、可能性が出てきているのではないでしょうか。ただし、持続性という観点を考えると危険性もあると思います。モールが出店する際に、規制はたくさんありますが、撤退する際の規制や罰則は不十分なんです。徹底するときの規制も、制度設計として補填していく必要があります。
若林氏:地元のお店や商店街が潰れました。モールが出来たけど撤退しました。ということもありえますからね。
南後氏:買い物難民が出てしまう可能性もあるので、その点も考えていかないといけないと思いますね。
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