休憩も取れずに給食指導をし、夜遅くまで働く先生達に、結局は残ってしまう食材を有効に活用してなにかできることをしてあげたい。調理員さんはそう思って手間暇をかけて賄い食を作っていたことは想像に難くない。
日本の画一的給食制度には限界が来ている
もう20年ほど前になるが、アメリカのパロアルト市に中学生のホームステイの引率で行ったことがある。滞在中に議員さんやエデュケーションボード(日本の教育委員会に相当)のご厚意で色々な学校を訪問させていただいた。驚いたのはどこの学校もお昼はカフェテリア方式であったことだ。
小学校1年生でも個々がプリペイドカードで自分が食べる食品を購入して大きな食堂で食べるのだ。その対応は専門の職員が行うため、教員は休憩時間をしっかりと取れる仕組みになっている。
食材の対応も日本よりもかなり効率的であると聞いた。何でもかんでも教員が抱え込む画一的な日本とはシステムそのものが違うのだ。
給食を無理矢理食べさせるようなことはもちろん良くないが、千差万別の個性がある児童生徒に画一的な給食制度では食品ロスの問題は解決しないだろう。また、賄い食を作った調理員を処分だけして、法で保障された休憩時間も与えずに全てを教員に丸投げのシステムを顧みない行政に苛立ちを覚える。
それでなくても教員志願者は減るばかりなのだ。このままでは日本の給食制度はいつか破綻するに違いない。