2026年1月1日(木)

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2026年1月1日

大和から伊勢への奉遷伝承

 そして次の、纏向珠城宮(まきむくのたまきのみや/奈良県桜井市穴師)に宮居した第11代垂仁天皇の時代になると、天照大神の祭祀場はいよいよ大和から伊勢に遷ることになる。

 〈垂仁天皇25年2月、垂仁天皇は5人の大夫(政権の幹部)に向かって、崇神天皇にならって天神地祇の祭祀に励んで天下を太平にすることを命じた。

 翌3月、天皇は天照大神を豊鍬入姫命から離して自身の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)に託した。

 すると倭姫命は、大神が鎮座するにふさわしい土地を求めて宇陀の筱幡(さきはた/奈良県宇陀市榛原)に赴いた。次に、そこから引き返して近江国に入り、さらにその東の美濃を巡り、そして伊勢国に至った。このとき天照大神は、倭姫命にこう告げた。

 「神風が吹くこの伊勢国は、常世(神仙が住むと信じられた理想郷)からの波がしきりに打ち寄せる国である。大和から離れた土地だが、美しい国である。私はこの国にいたい(是の神風の伊勢国は、則ち常世の浪(なみ)の重浪帰(しきなみよ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜国(うましくに)なり。是の国に居らむと欲ふ)」

 そこで倭姫命は、大神の教えに従って祠(やしろ)を伊勢国に建て、斎宮(いつきのみや)を五十鈴川のほとりに建てた。これを磯宮(いそのみや)という。すなわち、天照大神がはじめて天から降った所である(故、大神の教の随(まにま)に、其の祠を伊勢国に立て、因りて斎宮を五十鈴川の上に興てたまふ。是を磯宮と謂ふ。則ち天照大神の始めて天より降ります処なり)。〉(垂仁天皇25年2月8日条・3月10日条)

 すなわち、天照大神は垂仁天皇皇女の倭姫命によって大和から伊勢へ遷された。そこは、大神の「可怜国なり。是の国に居らむ」という言葉が示すように、大神自身が鎮座地として満足する美しい土地であったのだ。そしてこれが、伊勢神宮の内宮のはじまりということになる。

 『日本書紀』が記すこの倭姫命による天照大神奉遷の場面は、かつて大神が自身の御霊代(みたましろ)としてニニギに授け、歴代天皇が宮中で「同床共殿」で祀ってきた八咫鏡(やたのかがみ)を、倭姫命が捧持しながら巡幸していたかのようによくイメージされる。確かにそう解釈するとこの伝承はわかりやすい。だが、『日本書紀』は決してそう書いているわけではなく、奉遷伝承に鏡そのものは登場しない。

 『日本書紀』は奉遷伝承を記す本文に続く別伝において、「垂仁天皇は倭姫命を御杖(みつえ)として天照大神に奉った」とも記している。「御杖」とは、神の憑代(よりしろ)としての神木のことである。つまり、倭姫命が天照大神の憑代になったということ、神霊の憑(よ)りつく巫女になったということだ。そうなると、奉遷時には、仮に神鏡を捧持していたとしても、倭姫命その人が天照大神の御霊代になっていたと解釈することもできるだろう。

 神霊に憑依された高貴な巫女が、神託のままに大和から伊勢へと旅してゆく――『日本書紀』の記述からは、そんな叙事詩風の光景が思い浮かぶだろう。


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