2026年1月1日(木)

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2026年1月1日

五十鈴川のほとりに建てられた「祠」と「斎宮」とは

 内宮の創祀縁起はこのように『日本書紀』に明記されているのだが、細かくみてゆくと問題をはらむ箇所もあり、その解釈をめぐって論争がある。

 たとえば、伊勢に至った倭姫命は、天照大神を祀る「祠」を建て、次いで「斎宮」を五十鈴川のほとりに建てたとあるが、「祠」と「斎宮」をどうとらえるべきなのか。「祠」については、天照大神を祀る内宮の原型としての小社(建物)をさすとみるのが通説となっている。

 一方の「斎宮」については、大神を祀る宮とする説と、大神に仕える倭姫命のための宮殿とする説がある。「斎(いつ)く」には「祀る」や「心身の汚れを去って神に仕える」の意があるので、「斎宮」の解釈にはどちらの説も成り立ちうるが、ただし前者の説をとると、「祠」と「斎宮」はどう違うのか、同じものなのか、という話になってくる。

 また、『日本書紀』は斎宮の位置を「五十鈴川のほとり」とするが、そこは現に内宮が鎮座している場所である(内宮の別称に「五十鈴宮」がある)。ところが、内宮の原型とみられる「祠」の場所については、『日本書紀』はたんに「伊勢国」と記すだけで、詳しい位置を示していない。そうなると、「祠=原初の内宮」は五十鈴川のほとりにはなく、現在とは異なる場所にあったのではないか、という疑念を生じさせることにもなる。

 さらにややこしいのは、「五十鈴川のほとり」に建つ「斎宮」の別名が「磯宮」だとする記述だ。「磯」がつくからには、その場所は海の近くだったのだろうと考えるところだが、「五十鈴川のほとり=現在の内宮の鎮座地」は内陸に位置し、海岸からは5キロ以上も離れている。そのため、イソをイセ(伊勢)の古名と解する説や、伊勢地方(度会郡)の豪族磯部氏(のちに度会氏となる)との関係を説く説がある。あるいは、古代には海岸線は現在よりもかなり内側に迫っていたのか。

伊勢神宮の創祀時期をめぐる諸説

 記述は豊富ながら解釈が難しいところもある『日本書紀』の伊勢神宮創祀伝承だが、ともかく、大和から巡幸してきた皇女倭姫命が伊勢のどこかに日神にして皇祖神である天照大神を祀ったとき、伊勢神宮(内宮)の歴史ははじまったことになる。

岩戸から出る天照大神(『伊勢参宮名所図会』巻5) (出所)国立国会図書館

 問題はその年代である。『日本書紀』に記された垂仁天皇の時代は、その紀年を単純に西暦にあてはめると紀元前1世紀頃となるので、『日本書紀』の記述に素直に従えば、伊勢神宮の誕生もこの頃ということになる。


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