多極時代の複眼的外交戦略の切磋琢磨
こうした欧州外交のジレンマの中で、マクロン訪中の意図をもう一歩踏み込んで理解するには、より広い視野からのフランスと欧州主要国の世界観について配慮しておく必要があるだろう。
欧州はウクライナ戦争を武力で解決できる立場にはない。それにもともとその準備はない。
ここでもEUのスローガンである「民主主義と平和」「繁栄」の理念が反映されている。「力による平和」ではない。それは欧州安全保障協力機構(OSCE)がロシアのウクライナ侵攻に無力であったことは欧州にとって痛恨の歴史となった。
マクロンはウクライナ戦争をめぐり、まずロシアの説得に動き、ウクライナ開戦初期にゼレンスキー大統領に対しロシアへの領土的譲歩まで提案、仏・ウ関係は最悪となった時期があった。もともと19年にフランスが主要国首脳会議の議長国であった時に、マクロンは開催間近にプーチン大統領をフランスの大統領別荘に招き、ロシアが復帰するG8への回帰を提案していた。
今回は中国のG7参加の意図も示唆し、もはやロシアを「衛星化」した中国にウクライナ戦争の停戦仲介を期待した。それはもともと容易なことではないし、実際に今回の仏中首脳会議でその成果はなかった。フランスと欧州にその力はない。
「インド太平洋戦略」を主張する日本から見ると、このマクロン外交は荒唐無稽に見える。しかしマクロン大統領の思惑はユーラシア全体への地政学的視野からの俯瞰外交からきたものだった。
こうしたロシアに対する歩み寄りは、ロシアが今や世界第2位の経済大国となった中国との「同盟」構築のための接近を阻むことを目的とした。中露間への楔を意味したのだった。
中露同盟回避のためにロシアを欧州につなぎ留めておくこと、それがマクロンの真意だった。しかし19年にモスクワを訪れた筆者は、かつてソ連外相を長年務めたグロムイコ外相の孫にあたる欧州研究局長と会談した折、「欧州は時々この種の提案をしてくるが……」と素っ気なかった。
