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岡本さんが調べてみると、もともとは「粉陰嚢(こふぐり)」と呼ばれていたものらしく、男子の祝い物として春に作って贈答したようで、享和2年(1802年)の俳句の歳時記にも載っていることが分かった。その「こうごり」の復活を岡本さんが樫舎の喜多さんに頼んだのだった。
正月のきな粉作りの余材を用いた団子のような餅菓子で、粗いきな粉が独特の食感を醸し出す。お茶席にも出せるような上品な仕上がりになった。岡本さんが「こうごり」に新たな字を当て、「子福利餅」とした。
「長い歴史の中で廃れてしまったものには、廃れた理由がある」と喜多さんは語る。女夫饅頭の場合、「ものすごく複雑で難しいお菓子だ」という。「子福利餅」にしても粗いきな粉は今や普通には手に入らない。復活させたと言っても「そっくり昔のまま」を復元したわけではない。手に入る材料も人々の味覚も時代と共に変化した。だが、何と言っても昔のものは「手間暇のかかる」ものが多いという。
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